希蝶 のコメント

>>81
もう少し話をつけたすと、
1.当時、蘇我氏と物部氏との間に権力闘争があり、仏教容認も巡って激化していた。
2.蘇我氏に対抗して、物部氏は穴穂部皇子(あなほべのみこ)という、敏達・用明・推古の異母弟を擁立しており、彼が推古(当時は敏達天皇の大后で、未亡人)を「レイプ」しようとした、という騒ぎまであった(理由:兄たちのあとをつぐ既成事実を作ろうとした)。
3.蘇我と物部の対立は蘇我氏の勝利で終わり、穴穂部一派もその直前に蘇我氏によって始末されていた。しかし、そのあとをついだ崇峻天皇も蘇我氏の言うことをきかなくなり、蘇我馬子は帰化人系の刺客を使って天皇も始末した(これには推古の意志もあったという)。ちなみに、その刺客も処分されている。
4.そんなこんなで残ったのが、先にあげた敏達と用明の次世代の皇子たちであったが、とりわけ厩戸皇子は父母ともに蘇我の血を引いており、妻も推古の皇女や蘇我の娘であった。用明の皇子の中でも年長者であり、仏教容認派として馬子とともうまがあい、協力者とするには一番都合が良かった(なお、推古天皇も蘇我氏の血を引いており、そのことが先にあげた「倭の六県」問題に繋がっている)。

というような血塗られた事情だったと理解しています。だから、推古天皇・聖徳太子の政治というのは、馬子との妥協の中で行われたものであり、その中で、いかに天皇の権威を高めるか、大国隋との外交を有利に進めるか、朝鮮半島への進出をうまく行うかというのが重要課題であったろうと推察されます。高森先生は朝生の中で聖徳太子の皇太子説には否定的であるように語られていたと記憶してしますが、私はかりに皇太子でも大兄でもなかったとしても、『日本書紀』特有の潤色があったにせよ、この人の補佐があったればこそ、推古女帝は自在に権力をふるえたのではないか、という意見です。
なお、聖徳太子の死には、政治的に失脚して自殺した、という説もあるようです。

「クローズアップ現代」は見逃してしまいましたが(こういう帯番組は、毎日録画にでもして定期的に要らないところを削除する、みたいにしないと駄目なのでしょうか)、あまり関係ないやもしれませんが、昔社会の授業で習った「尊属殺人」の判例の変更の話を思い出しました。その話も父親と無理矢理関係を持たされて、子供までいた、というような話だったと覚えています(栃木実父殺し事件)。こちらは実の父親を殺してしまい、死刑になるところを減刑された、という話ですが、実の娘に欲情する親とは何なのだろう、とそのこと自体を疑ってしまいます。この父親殺しの娘の心情ももの凄く複雑な、愛憎入り乱れたものだったろうと想像されますし、その愛知県の話も、行き着く先がそこまででないと、裁判官の良い心証を得られないのでしょうか?

グリム童話にも似たような話があって(千匹皮)、こちらは娘は一度は逃げるのだけれども、結局は受け入れてしまう、という結末で、私が過去によんだ18禁漫画にも最愛の妻に死に別れて、娘を身代わりにしようとする話なんていうのもあるのですが(いちおう最後は娘が救われる話です)、親子関係とは何なのだろう、見知らぬ他人でも大樹じいさんとなつのように実の祖父と孫以上の家族関係が起こり得るのに、と『なつぞら』の話を唐突に出しておいて、話題をしめます。

No.90 67ヶ月前

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