tasuu のコメント

>>M.Oさん、丑三 やギさん
 おっしゃるとおり、刊行された雑誌に掲載されている手記の内容と、裁判で提出する書類に異なる事実を記載することは、全く不合理なわけです(刊行物に掲載されているため、記載内容に矛盾があることが誰の目からも明らかですし、裁判所の印象も悪いと思います。普通に考えれば、どちらかの主張は「嘘」ということになりますので。)
 では、何故、Y氏はその主張を、HANADAの手記から変遷させているのか。
 裁判の構造から考えると、伊藤さんが抗拒不能(酩酊状態等の理由により、自己の性的自由が侵害されていることの認識を欠く場合のこと。)であったとの認識が、Y氏になかったことを立証し、民法上の不法行為責任を免れようとしているのだと、私は推測します(伊藤さんが勝訴するためには、伊藤さん側が、Y氏が伊藤さんの抗拒不能状態を認識していたことを立証する必要があります。)。
 1軒目をでたところで、伊藤さんの酩酊状態になかったことは、伊藤さんとY氏の間で認識に違いはないようですので、問題となるのは、2軒目以降、①いつから伊藤さんが酩酊状態になったのか、②Y氏が、そのことを認識していたのか否か、ということです。
 もくれんさんの連載を読む限り、Y氏の主張の変遷は、「2軒目での伊藤さんの飲酒量が自分にはわからないこと」、が中心のように思われます。一度、トイレに伊藤さんが駆け込むという大きな出来事が発生していますが、このような大きな出来事はHANADAの手記で一度認めた以上、流石に、後から否定することは得策ではないと考えたのではないでしょうか。
 そのため、Y氏の主張では、伊藤さんに、「少し飲みすぎてしまいましたが、もう大丈夫です」と言わせ、再び手酌で日本酒を飲ませることで、トイレに駆け込んだ後、Y氏に伊藤さんが酩酊状態にあるという認識はなかったというストーリーを作っているのだと推測します。
 裁判上、伊藤さん側が、Y氏に伊藤さんの抗拒不能状態の認識があったことの証明責任を負っています。Y氏としては、「Y氏に伊藤さんが抗拒不能との認識があったかもしれないし、なかったかもしれない。」(伊藤さんが証明責任を果たせなかった状態)と裁判官に思わせれば、裁判には勝つことになります。
 Y氏は、裁判上の証明責任という「藪の中」に逃げようとしているというのが、私の推測です。
 その意味で、Y氏の主張の変遷は不思議なものではなく、『自分の保身のための行動として、「理に適っている」』と言う意味で、合理的な主張の変遷だと、私は推測しました(私は、裁判の記録を全て読んでいるわけではありませんので、勝手な憶測です。)。

No.47 60ヶ月前

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