こんばんは。 今日も早速、「ゴーマニズム宣言」を読ませていただきました。 今週も「ネトウヨ」「安倍」という単語を連発してその方面、シンパ から「また小林が俺らを叩いているよ」とのボヤキが聞こえてきそう ですが、よしりんの狙いは安倍・ネトウヨ叩きではなく、最近ダレて きた一部のライジング読者(投稿者)に喝を入れているのでは?と思 うようになりました。 よしりんの本意はタイトルにあるのではなく、文中の社長と従業員の 関係性にあると思ったからです。 シメは「尖閣諸島にネトウヨを常駐させよ」といつもながらの冴えわ たるギャグでかましていますが、エンターテインメントという性質上 のことであって、本質的にはやはりライジング読者にプロの会社の厳 しさというものを教えているのではないかと思うのです。 今週の「ゴーマニズム宣言」から一部分を拾ってみます。 『時浦は「よしりん企画」に所属しているのだが、だからといって 「個人」の部分が全然ないわけではない。従業員は、頭の先から足の つま先まで「組織人」というわけではない。 わしはスタッフがどこに住んでいるのか、どんな生活をしているの か、個人的な人生観も、何も知らない。』 一読すると、「小林よしのりだって放任主義者じゃないか」とリベラ リストが騒ぎ立てるかもしれない。だが、時浦氏もスタッフとして仕事 場に入れば、「組織人」として仕事をきちんとこなさなければいけない し、なにより時浦さんが「自由勝手に」振る舞うことなど、社長自身が 許さないだろう。 『わしが連載している編集部とケンカするのは、よっぽどの理由がある ときでなければならないし、商売上は仕事先を失うのである。 それは従業員全員の食い扶持にもかかってくる問題だ』 この一文が物語っている。 社長は従業員に給料を支払う立場、従業員は社長から給与を頂く立場だ から、よしりん社長の発言は正しい。 『今回勃発した時浦とネトウヨのケンカは、決して「組織人」時浦が わしの命を受けて始めたものではない。 あくまでも時浦が「組織人」としてではなく、「個人」として始め たものである。 だがそれを知ったわしは、善行だと思って自由にやらせている。』 これを見ると一部の者が、「Vol.18でよしりんが『わしは自由を認 めない。』と言ったではないか!」と突っかかってくるかもしれない。 だがこの場合の『自由』とは、小林よしのりにかかわる言論に関する 『自由』であって、相手の心の中に沸き起こる『自由』ではない。 短絡的な者には解らないということだろう。 『わしは盛り上げてくれる読者のコメントはありがたいが、UZAな奴 には去ってほしい。わしは、お客様は神様ですという態度はとらない 方針だ。どんなに媚びを売ったってムダ!(ゴー宣道場ブログ 2012年11月25日)』 最近、またぞろ一部のライジング読者が、「安倍やネトウヨを揶揄 しておけば読者欄に掲載される」よしりんに媚を売ろうと、揶揄だけ のコメントが増えているように思われます。そういう人たちに喝を入 れるためにあえて安倍シンパ・ネトウヨという道具を利用したのだと 私はそう思います。 …というのは考えすぎでしょうか? 先生「お前、ちょっと考えすぎだよ。わしは思った通りの考えを言っ たまでであって、お前みたいなヒネた考えなんか、わし、しないよ。」 と、安倍、ネトウヨ批判が本意なら、それはそれで善いことだと思います。
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こんばんは。
今日も早速、「ゴーマニズム宣言」を読ませていただきました。
今週も「ネトウヨ」「安倍」という単語を連発してその方面、シンパ
から「また小林が俺らを叩いているよ」とのボヤキが聞こえてきそう
ですが、よしりんの狙いは安倍・ネトウヨ叩きではなく、最近ダレて
きた一部のライジング読者(投稿者)に喝を入れているのでは?と思
うようになりました。
よしりんの本意はタイトルにあるのではなく、文中の社長と従業員の
関係性にあると思ったからです。
シメは「尖閣諸島にネトウヨを常駐させよ」といつもながらの冴えわ
たるギャグでかましていますが、エンターテインメントという性質上
のことであって、本質的にはやはりライジング読者にプロの会社の厳
しさというものを教えているのではないかと思うのです。
今週の「ゴーマニズム宣言」から一部分を拾ってみます。
『時浦は「よしりん企画」に所属しているのだが、だからといって
「個人」の部分が全然ないわけではない。従業員は、頭の先から足の
つま先まで「組織人」というわけではない。
わしはスタッフがどこに住んでいるのか、どんな生活をしているの
か、個人的な人生観も、何も知らない。』
一読すると、「小林よしのりだって放任主義者じゃないか」とリベラ
リストが騒ぎ立てるかもしれない。だが、時浦氏もスタッフとして仕事
場に入れば、「組織人」として仕事をきちんとこなさなければいけない
し、なにより時浦さんが「自由勝手に」振る舞うことなど、社長自身が
許さないだろう。
『わしが連載している編集部とケンカするのは、よっぽどの理由がある
ときでなければならないし、商売上は仕事先を失うのである。
それは従業員全員の食い扶持にもかかってくる問題だ』
この一文が物語っている。
社長は従業員に給料を支払う立場、従業員は社長から給与を頂く立場だ
から、よしりん社長の発言は正しい。
『今回勃発した時浦とネトウヨのケンカは、決して「組織人」時浦が
わしの命を受けて始めたものではない。
あくまでも時浦が「組織人」としてではなく、「個人」として始め
たものである。
だがそれを知ったわしは、善行だと思って自由にやらせている。』
これを見ると一部の者が、「Vol.18でよしりんが『わしは自由を認
めない。』と言ったではないか!」と突っかかってくるかもしれない。
だがこの場合の『自由』とは、小林よしのりにかかわる言論に関する
『自由』であって、相手の心の中に沸き起こる『自由』ではない。
短絡的な者には解らないということだろう。
『わしは盛り上げてくれる読者のコメントはありがたいが、UZAな奴
には去ってほしい。わしは、お客様は神様ですという態度はとらない
方針だ。どんなに媚びを売ったってムダ!(ゴー宣道場ブログ
2012年11月25日)』
最近、またぞろ一部のライジング読者が、「安倍やネトウヨを揶揄
しておけば読者欄に掲載される」よしりんに媚を売ろうと、揶揄だけ
のコメントが増えているように思われます。そういう人たちに喝を入
れるためにあえて安倍シンパ・ネトウヨという道具を利用したのだと
私はそう思います。
…というのは考えすぎでしょうか?
先生「お前、ちょっと考えすぎだよ。わしは思った通りの考えを言っ
たまでであって、お前みたいなヒネた考えなんか、わし、しないよ。」
と、安倍、ネトウヨ批判が本意なら、それはそれで善いことだと思います。