この国は様々な問題を抱えていますが、子育て中の身ということもあり、最も心配なのは少子化です。逆に考えれば、「少子化が改善すれば、他の問題の解決にも結び付く」とも言えるだろうと思っています。 少子化の問題は、かなりダイレクトに女性問題に繋がるところがあって、それは何かと言えば、子供を生むのは女性しかできないということ、そして、子育ては女性だけがするものでもできるものでもないということです。 「子供を生めるのは女性だけだが、子育ては女性だけがするものでもできるものでもない」、これが少子化解決に至るヒントのひとつなのではないかと思います。 フランスでは1994年に出生率が1.66と底を打ちました。そのときにわかったことは、女性の就業率が上がる一方で、子供の数が増えるほど、母親の離職率が上がっているということでした。こういうことを言うと、自称保守派から「女はやっぱり自分の自由の方を選ぶ」という声が聞こえてきそうですが、それは大きな間違いです。子供がいなくても仕事さえあれば生きていけますが、その逆は生きていくうえで極めて厳しい状況になりがちだということがあります。 逆に言えば、それらの両立に懸念がなくなれば女性は子供を生めるのです。だって生みたいと思っている女性は多くいるわけで、さらにはできれば3人ほしいと思っている。でもそれをなかなか実現することができない。 子供を生むと失ってしまうものがあるということ、そして、女性が仕事と子育ての両立を考えたときに、サポートしてくれる存在といえば、社会と男性になると思いますが、それらを信用できない、期待できない状況があるのです。そういうことを、この社会が女の我儘と考えている限り、少子化からは抜け出せないのではないかと思います。 フランスでは2010年に出生率が2.00超まで回復しましたが、それはなぜかということをざっくり言えば、女性がそういう心配、懸念を拭える政策を、政府が打ち続けたからでしょう。他方、今もそうではない状況にい続けているのが我が日本なのではないでしょうか。 よそはよそ、うちはうちと考えるべき話と、国民性や文化は違えども、同じ問題を抱え、それを解消しつつある国から学べるものは学び、取り入れられることは取り入れるべき話があるのではないかと考えます。少子化問題に関しては間違いなく後者のはずなのです。 もちろん、フランスの女性も、日本の女性も、少子化解決のため、国のために子供を生むわけでも、生みたいわけでもありません。個人の幸せのためです。この国では個人の幸せを追い求めることを、我儘と捉えてしまう人がいる。個人の幸せを希求することと、共同体意識は対立するものではなく、むしろ親和性があると言っていいのではないでしょうか。信用できない社会に愛着を持てる人の方が少ないはずなのですから。 でもどうも、政策を打ち出したり、法律を作ったりする永田町の中、とくに現与党、現政権(その支持者も)にはそう考えない人が多くいるように思います。自民党の日本国憲法草案を少し眺めただけでそれが見えるようで、極力「個人」を削ごうとしているようにしか思えないのです。 少し前の倉持師範のブログで、次回ゲストである山元先生の、 「憲法は権力を縛るだけでなく、基本的価値を内外に表明する重要な役割があり、理想を語るものでもあります」 という言葉を紹介されており、そして、 「我々日本国民はこの社会を、個人をどう構想するのか」 と続いていました。 次回道場を楽しみにしております。
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この国は様々な問題を抱えていますが、子育て中の身ということもあり、最も心配なのは少子化です。逆に考えれば、「少子化が改善すれば、他の問題の解決にも結び付く」とも言えるだろうと思っています。
少子化の問題は、かなりダイレクトに女性問題に繋がるところがあって、それは何かと言えば、子供を生むのは女性しかできないということ、そして、子育ては女性だけがするものでもできるものでもないということです。
「子供を生めるのは女性だけだが、子育ては女性だけがするものでもできるものでもない」、これが少子化解決に至るヒントのひとつなのではないかと思います。
フランスでは1994年に出生率が1.66と底を打ちました。そのときにわかったことは、女性の就業率が上がる一方で、子供の数が増えるほど、母親の離職率が上がっているということでした。こういうことを言うと、自称保守派から「女はやっぱり自分の自由の方を選ぶ」という声が聞こえてきそうですが、それは大きな間違いです。子供がいなくても仕事さえあれば生きていけますが、その逆は生きていくうえで極めて厳しい状況になりがちだということがあります。
逆に言えば、それらの両立に懸念がなくなれば女性は子供を生めるのです。だって生みたいと思っている女性は多くいるわけで、さらにはできれば3人ほしいと思っている。でもそれをなかなか実現することができない。
子供を生むと失ってしまうものがあるということ、そして、女性が仕事と子育ての両立を考えたときに、サポートしてくれる存在といえば、社会と男性になると思いますが、それらを信用できない、期待できない状況があるのです。そういうことを、この社会が女の我儘と考えている限り、少子化からは抜け出せないのではないかと思います。
フランスでは2010年に出生率が2.00超まで回復しましたが、それはなぜかということをざっくり言えば、女性がそういう心配、懸念を拭える政策を、政府が打ち続けたからでしょう。他方、今もそうではない状況にい続けているのが我が日本なのではないでしょうか。
よそはよそ、うちはうちと考えるべき話と、国民性や文化は違えども、同じ問題を抱え、それを解消しつつある国から学べるものは学び、取り入れられることは取り入れるべき話があるのではないかと考えます。少子化問題に関しては間違いなく後者のはずなのです。
もちろん、フランスの女性も、日本の女性も、少子化解決のため、国のために子供を生むわけでも、生みたいわけでもありません。個人の幸せのためです。この国では個人の幸せを追い求めることを、我儘と捉えてしまう人がいる。個人の幸せを希求することと、共同体意識は対立するものではなく、むしろ親和性があると言っていいのではないでしょうか。信用できない社会に愛着を持てる人の方が少ないはずなのですから。
でもどうも、政策を打ち出したり、法律を作ったりする永田町の中、とくに現与党、現政権(その支持者も)にはそう考えない人が多くいるように思います。自民党の日本国憲法草案を少し眺めただけでそれが見えるようで、極力「個人」を削ごうとしているようにしか思えないのです。
少し前の倉持師範のブログで、次回ゲストである山元先生の、
「憲法は権力を縛るだけでなく、基本的価値を内外に表明する重要な役割があり、理想を語るものでもあります」
という言葉を紹介されており、そして、
「我々日本国民はこの社会を、個人をどう構想するのか」
と続いていました。
次回道場を楽しみにしております。