配信、お疲れ様です。 今回は、少しづつ分けてみます(といっても、たぶん長文になると思います。ご容赦ください)。 私にとって、歴史の勉強は、ただおもしろいからやっていた、というだけにすぎないです。 昔の人がどういうことをして、その結果、どうなったのか、という物語が面白く、たとえば荘園制が自墾地系から寄進地系になったとか、本家、領家、預所(あずかりどころ)とかいう所有関係は、あとで学校で習った、といったところでしょうか。 ペロポネソス戦争の歴史とかも、高校の部活でたまたま調べたことがあり、ペリクレスとか、アルキビアデスとかクレオンとかいった人たちの言動が興味深く、その後プラトンの書とかギリシャ喜劇とかで再発見して、ますます面白いと感じた、という感じで、 高森先生や泉美木蘭さんの番組でもとりあげられたことのあった、天之日矛(あめのひぼこ)については、子供向けの文学全集でよんで、なぜこんな話が唐突に挿入されているのだろうか、と違和感を覚えて、その後、高木彬光さんの本でとりあげられてあったのをよみ、興味深かったので、卒論のテーマにした、といった感じです。 世の中の出来事には、何らかのつながりがあるのではないか、と私は思います。 その関連性をみつけ、どこが共通・類似していて、どの点でことなっているかを見いだすことが、その人の学ぶという態度や姿勢につながるのではないか、と思います。 たとえば、あまり共通性はないのだろうと思いますが、「伝説巨神イデオン」という有名なアニメーションがあり、TVでは視聴率の問題などもあって(内容にもかなり問題があったといえますが)、打ち切りになり、映画で完結篇をつくられたのですが、 山本有三の「路傍の石」も当初朝日新聞で第一部まで連載し、完結したのですが、作者が第二部をつくるに際して、展開上の問題を感じて、「主婦の友」に改めて再連載し直したところ、共産主義者が出てくるところが軍部の目に触れ、やむなく中絶し、さらに戦後になって、北清事変のことを描いたところがGHQの検閲にひっかかり、さらに短縮された、といった経緯があります。結局、そのままになってしまいました。 この二つの事例は、あまり共通性がないように感じられますが、私には、ものというのは、自分一人だけの力ではどうにもならない場合があり、外部からの影響や情況によって左右され、未完になったり、完成したりするものなのだ、ということなのだと解釈しています。 もっというなら(これをいうと失礼にあたるのでしょうか)平井和正・石ノ森章太郎の「幻魔大戦」もあてはまるのでしょうか。何とかあの、月が地球に接近する場面を、どう乗り越えたかというシーンを描いてほしかった、と思います。 学問という話からずれてきましたが、わたしはものごとに優劣・上下関係をつけない方が、新たな発見もあるし、自分の未知の領域への興味もわいてくると思うのです。 そもそも、大学を出た、院で学んだということも、その人のその時点での通過点でしかなく、 その後、社会へ出て、知ったことや自分で調べてわかったこともあるわけで、 人は常に何かを学び、死ぬ寸前まで真理を探究し、覚え、理解し、消化して自分のものにしようとするのではないか、と。 ここまでで良い、という満足感をもってしまったら、その時点でその人の成長が止まってしまい、その先へすすむことはかなわなくなるのではないか、と。 こういうと自慢話になってしまうのですが、私の卒業した大学もかなりの名門学校でしたが、肝腎なことは自分で学び、知ろうとしたのではないか、といまにして思います。 学歴で、就職活動で得をした、という思い出がほとんどないのですから。 以前にいた会社の社長が、大学の先輩で何とか入社できたというようなことはありましたが、そこは、その社長の意見しか通らないようなところで、ほかの人が意見しようものなら、勘気をかい、やめざるを得ないようなところだったりしました。 だから、自分とは違う人間であり、ことなっている感性や考えには、耳を傾け、参考にし、己の思考をさらに高めてゆかないといけないと思います。 あと、最初の話にもどりますが、結局のところ、学ぶということは楽しくなければ、関心を持てないものだと思いますし、 そのための、ほかの事象との関連づけも大切だと思います。 私も、塾の講師や電話質問の解答をしていた、そのように心がけていたつもりです。 たとえば、ドリフの志村けんの「アイマイミー」のギャグを見て、英語の代名詞を覚えたというような話をすると、子供はかなりおもしろがってくれました(中学にはいるまで、私はいかりやと志村は、何のかけごえをかあっているのかと、あのネタを見て思っていました)。 そして、そういうふうに工夫したりすると、さらにいろいろなことを自分でもより深く覚えてみようと思ったりもしました。 歴史的仮名遣いに関心を抱いたのも、なぜヴェトナムは「越南」と書くのか、といったことに興味がわいたからです。 しかし、私にはものを誰かに教えるといった能力はなかったみたいで、 塾の講師の方はうまくゆかず、結局失業してしまいました。 しかし、その時に自分で覚えようとしたことは、無駄にはなっていない、と思います。 学ぶ、ということは生きる、ということなのではないか、と私は思います。 ほかにも記したいことはあるのですが、以上です。
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配信、お疲れ様です。
今回は、少しづつ分けてみます(といっても、たぶん長文になると思います。ご容赦ください)。
私にとって、歴史の勉強は、ただおもしろいからやっていた、というだけにすぎないです。
昔の人がどういうことをして、その結果、どうなったのか、という物語が面白く、たとえば荘園制が自墾地系から寄進地系になったとか、本家、領家、預所(あずかりどころ)とかいう所有関係は、あとで学校で習った、といったところでしょうか。
ペロポネソス戦争の歴史とかも、高校の部活でたまたま調べたことがあり、ペリクレスとか、アルキビアデスとかクレオンとかいった人たちの言動が興味深く、その後プラトンの書とかギリシャ喜劇とかで再発見して、ますます面白いと感じた、という感じで、
高森先生や泉美木蘭さんの番組でもとりあげられたことのあった、天之日矛(あめのひぼこ)については、子供向けの文学全集でよんで、なぜこんな話が唐突に挿入されているのだろうか、と違和感を覚えて、その後、高木彬光さんの本でとりあげられてあったのをよみ、興味深かったので、卒論のテーマにした、といった感じです。
世の中の出来事には、何らかのつながりがあるのではないか、と私は思います。
その関連性をみつけ、どこが共通・類似していて、どの点でことなっているかを見いだすことが、その人の学ぶという態度や姿勢につながるのではないか、と思います。
たとえば、あまり共通性はないのだろうと思いますが、「伝説巨神イデオン」という有名なアニメーションがあり、TVでは視聴率の問題などもあって(内容にもかなり問題があったといえますが)、打ち切りになり、映画で完結篇をつくられたのですが、
山本有三の「路傍の石」も当初朝日新聞で第一部まで連載し、完結したのですが、作者が第二部をつくるに際して、展開上の問題を感じて、「主婦の友」に改めて再連載し直したところ、共産主義者が出てくるところが軍部の目に触れ、やむなく中絶し、さらに戦後になって、北清事変のことを描いたところがGHQの検閲にひっかかり、さらに短縮された、といった経緯があります。結局、そのままになってしまいました。
この二つの事例は、あまり共通性がないように感じられますが、私には、ものというのは、自分一人だけの力ではどうにもならない場合があり、外部からの影響や情況によって左右され、未完になったり、完成したりするものなのだ、ということなのだと解釈しています。
もっというなら(これをいうと失礼にあたるのでしょうか)平井和正・石ノ森章太郎の「幻魔大戦」もあてはまるのでしょうか。何とかあの、月が地球に接近する場面を、どう乗り越えたかというシーンを描いてほしかった、と思います。
学問という話からずれてきましたが、わたしはものごとに優劣・上下関係をつけない方が、新たな発見もあるし、自分の未知の領域への興味もわいてくると思うのです。
そもそも、大学を出た、院で学んだということも、その人のその時点での通過点でしかなく、
その後、社会へ出て、知ったことや自分で調べてわかったこともあるわけで、
人は常に何かを学び、死ぬ寸前まで真理を探究し、覚え、理解し、消化して自分のものにしようとするのではないか、と。
ここまでで良い、という満足感をもってしまったら、その時点でその人の成長が止まってしまい、その先へすすむことはかなわなくなるのではないか、と。
こういうと自慢話になってしまうのですが、私の卒業した大学もかなりの名門学校でしたが、肝腎なことは自分で学び、知ろうとしたのではないか、といまにして思います。
学歴で、就職活動で得をした、という思い出がほとんどないのですから。
以前にいた会社の社長が、大学の先輩で何とか入社できたというようなことはありましたが、そこは、その社長の意見しか通らないようなところで、ほかの人が意見しようものなら、勘気をかい、やめざるを得ないようなところだったりしました。
だから、自分とは違う人間であり、ことなっている感性や考えには、耳を傾け、参考にし、己の思考をさらに高めてゆかないといけないと思います。
あと、最初の話にもどりますが、結局のところ、学ぶということは楽しくなければ、関心を持てないものだと思いますし、
そのための、ほかの事象との関連づけも大切だと思います。
私も、塾の講師や電話質問の解答をしていた、そのように心がけていたつもりです。
たとえば、ドリフの志村けんの「アイマイミー」のギャグを見て、英語の代名詞を覚えたというような話をすると、子供はかなりおもしろがってくれました(中学にはいるまで、私はいかりやと志村は、何のかけごえをかあっているのかと、あのネタを見て思っていました)。
そして、そういうふうに工夫したりすると、さらにいろいろなことを自分でもより深く覚えてみようと思ったりもしました。
歴史的仮名遣いに関心を抱いたのも、なぜヴェトナムは「越南」と書くのか、といったことに興味がわいたからです。
しかし、私にはものを誰かに教えるといった能力はなかったみたいで、
塾の講師の方はうまくゆかず、結局失業してしまいました。
しかし、その時に自分で覚えようとしたことは、無駄にはなっていない、と思います。
学ぶ、ということは生きる、ということなのではないか、と私は思います。
ほかにも記したいことはあるのですが、以上です。