shinkimu のコメント

ついに5回目の削除です。何回まで行くかな。以下は6回目の投稿です。
議論はして欲しくないみたいですが、それでどうやって皇室典範の改正をするのでしょうか。不思議です。

こんにちは

カレーせんべいさんから、「ライジングコメントをみんなでもっと盛り上げて」とのお話がありましたので、
私もご協力いたします。
この場を盛り上げるには私の意見のようなものが一番いい燃料になるのではないでしょうか。
ファンの皆様がより結束できますからね。

10月21日の道場ブログ
「読売新聞『語るコーナー』」

https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=8110&comment_flag=1&block_id=374#_374

こちらで笹さんは以下のように仰っています。
引用いたします。

生前退位は「パンドラの箱」だ!(開けたらダメ!天皇の意思は認めない!)
摂政を置け!(俺の言うことが正しいんだから!)
最初に公的行為を減らせ!(天皇の言うことなんか聞いてられるか!)
政府は世論に流されるな!!!(俺が一番よく知っている!俺に聞け!)
ホントこの人、他者の心に寄り添うことができないのだなあ。

笹さんのこのご意見は少々誤解があるように思います。

八木先生もおっしゃっている「生前退位はなぜいけないのか」ということに関しては、他ならぬ高森先生が2013年6月に以下の記事中で丁寧に説明されています。
こちらの記事が、上記の笹さんのご意見に対する過不足のない回答になっていると思われますので、少々長いですが、引用いたします。

「週刊新潮 事実無根『悠仁親王即位』記事の悪質さ」
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jo3uww7gf-14#_14

万が一にもこのような制度改正がもしなされたら、
皇位の継承は一挙に不安定なものになりかねない。

例えば将来、いよいよ悠仁親王殿下の即位という場面で、
ご本人が即位を辞退されたらどうなるのか。

一旦、ご本人のご意思を介在させる制度化を行った以上、
悠仁親王殿下だけを例外には勿論、出来ない。

するとたちまち、万事休すだ。

我が国から天皇という存在そのものが失われることになる。

天皇を秩序の基軸とする日本社会の伝統的な在り方自体が、
たったお一人の皇族のご意思によって決定的に左右される
事態になるのだ。

また、ご本人のご意思で退位や即位辞退が可能になると、
無責任かつ悪質な週刊誌の記事などを鵜呑みにした人々が、
ご本人に働きかけて天皇の退位や即位辞退を実現させようと、
不敬不埒な署名活動やデモを活発に繰り広げないとも限らない。

あるいは、現在の皇統の危機を首尾よく乗り越えたと
仮定しての話だが、複数の皇位継承候補者がいた場合、
希望の皇族を即位させるために、
継承順位が優先する他の全ての皇族方の即位辞退を、
強烈に要請するような行動にも走りかねない。

さらに、自分たちが「支持」する皇族を何とか即位させようと、
国民の間に激しい対立が生まれることもあり得る。

そうなると、社会を安定化させ、民主主義の暴走を抑止する、
伝統ある君主制の大切な機能は完全に失われ、
社会の不安定化とポピュリズムの暴走を、
むしろ加速する事態にもなりかねない。
(引用終わり)

後半におっしゃられている
「国民の間の激しい対立」
ということは、少なくても「ゴー宣道場」を見る限り、もうすでに始まっているような気がしますし、むしろ小林先生以下師範の皆様はそれを煽られているようにも感じます。

私も高森先生と同じく、このことを非常に憂慮します。
将来新しく即位される天皇陛下が「国民の総意に基づく」ものではなく、世論が分断されたままの即位であった場合、天皇陛下の権威そのものが失墜することにもなりかねません。

八木さんがおっしゃる、「政府は世論に流されるな!」ということも、ここで高森先生がおっしゃっているように、

>社会を安定化させ、民主主義の暴走を抑止する、
伝統ある君主制の大切な機能は完全に失われ、
社会の不安定化とポピュリズムの暴走を、
むしろ加速する事態にもなりかねない。

という事態を恐れてのものであると思います。
世論とは移ろいやすいものですし、甚だ心許ないものだと思います。
皇室に対する理解も、いまだ必ずしも深まっているとは思いません。
(たとえば、「女性天皇と女系天皇の違い」ですら正確に理解されている国民は少数だと思われます。)
小林先生は、そのような無知蒙昧な世論に流されることの危険性を「民主主義という病い」の中で指摘されていらっしゃいますが、
皇位継承における言説は、むしろこの「大衆迎合主義」を積極的に利用しようとしているようにも見受けられるのは何故でしょうか。

たとえば、今回の笹さんの記事の書き方なども全く同じ手法で顕著なのですが、
本人のおっしゃったことを正確に引用するというのではなく、
発言の一部を抜き出し、そこに本人は付していない「エクスクラメーション・マーク」をつけ、さらに鉤括弧で、本人は一言も言ってもいない恣意的な「心の声」を付け足し、読者に対し意図的な誘導をします。

例・最初に公的行為を減らせ!(天皇の言うことなんか聞いてられるか!)

このような手法は典型的なプロパガンダの手法ですが、全くフェアでなく建設的な議論にはなりえません。
そのような手法で大衆扇動をするということ自体が、「国民間の激しい対立」を招き、
ひいては「社会の不安定化とポピュリズムの暴走を加速させる自体になりかねないこと」になるのではないでしょうか。

天皇陛下のご勅命に対して我々臣民はどう向き合えば良いのか、ということにつきましては、
8月8日のビデオメッセージ以来、私自身もとても悩んでまいりましたが、今となってはこう考えております。

天皇陛下が天壌無窮の神勅の体現者でいうということなら、天皇位の世襲というのは一切の理性を排除して、これまで通り続けていくべきです。
国体には時間の積み重ねによって形成された法の支配があります、何人も、例え天皇陛下であっても、そこに逆らうことはできません。そのことは自らを無私の存在と規定する今上陛下は誰よりもご承知のはず。
今上陛下を敬愛する気持ちは皆一緒です。
しかし、個人としての陛下のお人柄を敬愛することと、このことは厳に分けて考えるべきです。

私は、最近の道場における皇位継承の議論を目にするたびに、吉田松陰の以下の言葉を思い出します。
以下引用いたします。

天照の神勅に、
日嗣之隆興
天壞無窮 と有之候所、

神勅相違なければ日本は未だ亡びず、

日本未だ亡びざれば、
正気重て発生の時は必ずある也、

只今の時勢に頓着するは
神勅を疑の罪軽からざる也。

(現代語訳)

天照大神の神勅には、
天皇を頂点とする我が日本の興隆は
天地に終わりなし、とある。

日本はいまだ滅びていません。
ならば、日本国が正気になるときは必ず来る。

ただいまの時勢に翻弄されるのは
天壌無窮の神勅を疑うということです。
それは、決して軽くない罪です。

いつだったか、勝谷誠彦さんが仰っていたように、2000年続く皇統がここで終わるなら、それはそこまでだったということです。
しかし、「神勅相違なければ」日本は亡びるわけがないのです。
あくまでもそう考えることが「保守思想」だと思います。

「今の時勢に翻弄され、天壌無窮の神勅を疑うこと」
「それは決して軽くない罪」です。
今のゴー宣道場の迷走はまさにその陥穽に陥ってのものではないでしょうか。
そのことを非常に残念に思います。

No.147 97ヶ月前

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