>>6 虚淵氏の作風は、あまりよく知らない。 ただここまでハッピーエンドを「論理的にありえないし無価値」とすることに、違和感があっただけ。 女の子が好きそうなファンシーで甘ったるい香りまみれの雑貨屋とかに行くと、バス停を振り回して破壊しつくしたくなる。というのなら分かる。 でもだからって「こんな桃色空間は現実じゃねえ! 現実はもっと無味乾燥としてるんだ!」なんて主張するのはおかしいと思う。 その場合の破壊の動機は「とにかく嫌だ」であって、「これは現実じゃない」ではない。 ディズニーランドでミッキーを池に叩き落とすのも、「こいつムカつく」であって、「こいつは現実には存在しない」ではない。 ハッピーエンドの否定が、やむにやまれぬ衝動ゆえにであるなら、同意できる。 しかしハッピーエンドが「事実として不合理であるから」認められず、ゆえに「価値がない」として否定されるのであれば、それは当人の視野狭窄だと思う。 それは、平和で裕福な暮らしが日常である人間に、祈りや切実な願いが理解できず、無価値であるのと同様だ。 要するに、この作家は本当に、純粋に論理的観点から「ハッピーエンドはありえないし無価値」と考えているのかどうかが、私には分からないということ。 この作家はディズニーランドで「おまえら幸せそうだけどそんなの嘘っぱちだ、本当はみんな不幸になるしかないんだ、現実にはディズニーランドなんかないんだ、ミッキーマウスもいないんだ!」とカップルや家族連れに叫んでいるようなものなのだろうか? それなら私も、むしろ喝采を送りたい。
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>>6
虚淵氏の作風は、あまりよく知らない。
ただここまでハッピーエンドを「論理的にありえないし無価値」とすることに、違和感があっただけ。
女の子が好きそうなファンシーで甘ったるい香りまみれの雑貨屋とかに行くと、バス停を振り回して破壊しつくしたくなる。というのなら分かる。
でもだからって「こんな桃色空間は現実じゃねえ! 現実はもっと無味乾燥としてるんだ!」なんて主張するのはおかしいと思う。
その場合の破壊の動機は「とにかく嫌だ」であって、「これは現実じゃない」ではない。
ディズニーランドでミッキーを池に叩き落とすのも、「こいつムカつく」であって、「こいつは現実には存在しない」ではない。
ハッピーエンドの否定が、やむにやまれぬ衝動ゆえにであるなら、同意できる。
しかしハッピーエンドが「事実として不合理であるから」認められず、ゆえに「価値がない」として否定されるのであれば、それは当人の視野狭窄だと思う。
それは、平和で裕福な暮らしが日常である人間に、祈りや切実な願いが理解できず、無価値であるのと同様だ。
要するに、この作家は本当に、純粋に論理的観点から「ハッピーエンドはありえないし無価値」と考えているのかどうかが、私には分からないということ。
この作家はディズニーランドで「おまえら幸せそうだけどそんなの嘘っぱちだ、本当はみんな不幸になるしかないんだ、現実にはディズニーランドなんかないんだ、ミッキーマウスもいないんだ!」とカップルや家族連れに叫んでいるようなものなのだろうか?
それなら私も、むしろ喝采を送りたい。