こいら のコメント

よしりん先生が共産党にシンパシーを感じるたびに、違和感を拭えないのも本音なのです。
私の友人が「小林よしのりの本質は左翼なんだ」と言っていて、それも一理あると思うのです。
確かに「戦争論」「天皇論」を通して小林よしのりという人間は左翼思想とは決別したと思っていますが…
よしりん先生のお父上が左翼思想に染まっていたのも事実だし、よしりん先生自身が大学時代に学生運動をしていたのも事実だし、その事実は決して消せないと思うのです。

私自身、両親は安保闘争に参加していた世代で、そのせいか政治的な社会運動には嫌悪感というか、そういうこととは全く関わりたくないのが本音です。
そしてその本音は、いわゆる日本にいるほとんどの庶民の本音に等しいと思います。

政治的な意見を現場で持ち、社会的な意識を高めることは大事だし、あえて例えば集会みたいなことをやらなくても公論は作れるというのが私の考え方であります。
しかし例えばゴー宣道場の現場でも「政治的な議論をする目的が自分探し」という人がいたのです。何かに依存するために道場に参加してる人がいたので、正直怖かった記憶があります。

私の大学時代の友人は、自己啓発セミナーにはまって人生を棒に振りました。奴の部屋にはオウムの麻原の肖像画もありました。ゴー宣道場をオウム真理教と同列には扱えないのかもしれませんが、現場を持たない根無し草の人間が少なからず道場に参加する可能性もあるし、彼らが私の友人みたいに変な思想にオルグされた場合、道場の責任者は責任を問えるのか否か。

そうなると、不完全ではありますが、選挙権を行使して政権を動かすことが、現場を犠牲にせすに政治と関わる唯一の手段ではないか、とも思えるのです。
よしりん先生の主張はブレてないし、民主主義が病んでて限界に来てることは認めるのですが、思想として共産主義や社会主義に回帰することには同意しかねます。「戦争論2」でよしりん先生が指摘した共産主義のヤバさ、それが奴らの本性だと思うのです。

まともな現場にいる人間にとって、例えばゴー宣道場で人を○○人集めて、というやり方は、薬害エイズ訴訟で労組が人を○○人集めて、という発想と似てる気がして怖いのです。集まった人間が本当に生産の現場を持っている人間なら安心できるかもしれませんが、特定の思想にオルグし集会を乗っ取ろうとする輩は右左問わずいるので、そこを上手く選別しないと、たとえゴー宣道場でもかつての社会運動と同じ末路を辿ると警告致します。

No.135 102ヶ月前

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