起立、礼! 中條Dです。

 29日の「一日三秋」でマックスむらいチャンネルとAppBankTVの違いはなんなんだみたいな話がトピックスに挙がりましたけど、元々AppBankってのは「箱推し」してナンボのチームだと僕は思っていたので、奮起しようという契機でああやって集まるのは正解だと思います。ニコニコ超会議の一番最初のコピーも「集まれば、強くなる」でした。

 その超会議の前に闘会議が近づいてきて、社内がざわざわしています。何回やっても大変さは変わらないんだよねぇ……。北野Pは連日、打ち合わせばかりで最近、会社で会うこともめっきり少なくなってしまいました。闘会議は何度やっても闘会議なんだよなぁ。みつを。

 自分がドワンゴに入社した頃と今で、ゲームを遊ぶということの意味が変わり続けていて、変化に置いていかれないようにするのが大変です。ゲームというのは家庭用とアーケードという2本の柱が文化を育んでいたわけですが、ブロードバンドの普及でここにインターネットという3本目の柱が立ちました。それがゲーム実況と呼ばれるもので、タレントでも何でもない普通の人が遊んでいるゲームプレイをただ「観る」という文化ができました。今でこそ普通の事だけど、こうやって文字に起こすと極めて奇怪な文化に感じられますね。で、そこから僅か数年でスマートフォンという物が爆発的に普及し、今度はゲームを携帯する4本目の文化が立ちました。入れ替わるようにアーケードという柱は折れようとしていますが、こればかりはさすがに止められない流れなんじゃないかなと思います。

 全盛期は駅前に8軒くらいゲーセンがあった立川という絵に描いたようなベッドタウンで育ち、大学卒業後はストレートでフリーターになりゲーセンで3年働いていた僕からすれば、アーケードという文化が衰退の一途というのはもちろん寂しくはあります。ただゲーセンというのは家庭用では実現できないマシンスペックを持った筐体と、CPUではなく人間と対戦するために行くという点が最大のアドバンテージだったわけで、そのどちらもが家庭用でもスマホでも当たり前に実現できる時代になってしまった今ではなかなか厳しいです。単純にゲーセンでゆったりする時間が今の日本人に無いってだけの話のような気もするけどね。便利さには勝てないとは言いつつも、衰退するゲーセンを我々はなぜ嘆くのか。

 韓国出張以降「フィールドワークをちゃんとやろう」という意識が芽生えていたこともあり、今月上旬に開催されていた「第16回 クーペレーションカップ」を観に行ってきました。