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通貨発行権の無い政府と財政赤字の原因3 「図説 銀行の歴史」 エドウィン・グリーン著 を読む

2014/03/09 21:30 投稿

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【図説 銀行の歴史 エドウィン・グリーン著 石川通達 監訳 
関哲行/長谷川哲嘉/松田英/安田淳 訳 
1994年 原書房】 

現在の国家債務の原因となっているのが政府が通貨発行権を行使できない
システムである。
その歴史的経緯について。

前回の<リンク>図説 銀行の歴史 エドウィン・グリーン著 を読む その2

の続き。

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中央銀行の元祖となったイングランド銀行の設立と運営が、民間の株式会社
として始まった経緯と、戦争融資を行っていたことについて。

当時、イギリスはフランスと戦争をしており、戦争資金を必要としていた。
その状況を利用したのが、、民間の金融業者たちであった。

 

(銀行の歴史より転載)


P57

【スコットランド人起業家ウィリアムパターソンは、1680年から90年代のイギリス人投資家
に新株式会社計画案を執拗に説いた
発起人グループの一員であった。

彼の大胆な提案は1694年、財務府長官チャールズ・モンタギューの支持をえた。

8パーセントの利子で120万ポンドを政府に貸し付ける代償として、出資者は、イングランド
銀行総裁および同銀行社員の名称で、12年以上の法人組織を認められた。

イングランド銀行は、個人株主によって所有される株式会社となったのである。

1694年6月の最初の融資にあたっては、12日で資金の全てが集まり、同年7月1272名
から成る最初の同行出資者に特権が付与された。

イングランド銀行を通じての当初の融資と追加融資により、財務省は1697年のライスワイ
ク条約までの、対フランス戦争の資金を賄うことができた。


P57~P58

【新しいイングランド銀行は単なる政府への貸付機関ではなかった。

同行は財務府の支払い指図書を精算する用意があり、財務府から政府債権者への同行の
約束手形、いわゆる「署印手形」の振り出しも認めた。

フランドルへの軍事支出を取り扱い、外国為替市場や地金市場に参入し、個人客(ロンドン
の金匠銀行家を含む)向けの口座を開設したのみならず、顧客の為替手形の引受やその支
払いにも応じた。

銀行券の発行は当初の法案にはもりこまれなかったものの、やがて新しい銀行の特色の
ひとつとなった。

創設5年以内で、130万ポンド以上の銀行券が流通し、1720年までには流通総額は250万
ポンドに近づいた。
銀行券の発行規模とその弾力性は、単一銀行としては他に例を見ないものであった。】



次に中央銀行の元祖イングランド銀行の経営実態について。

p58
【当初からイングランド銀行総裁と25名から成る理事会の構成員は、信用と経験に最も富ん
だ商人たちであった。
<中略>草創期のイングランド銀行にあって、彼らが成功をおさめたこ
とが、法人組織特権の更新を可能にさせ、1708年には6名以上の共同出資者をもつ唯一の
銀行たる特権が認められた。】


イングランド銀行は、大商人たちによって管理されていた「民間が所有する中央銀行」であった。
政府からは完全に独立した機関である。

つぎに紙幣の原型としての小切手の起源について。


P72
【伝来する最古の小切手は、1659年2月11日に「ミスター・モリス・アンド・ミスター・クレイトン」
の口座あてに振り出されたものであった。

かってイタリアでみられた譲渡可能な支払い証書の末裔ともいうべきこうした形態の小切手
は、1650年代にイギリスの公証人銀行で使用された授権書に直接由来している。】


こうして見ると、欧州において民間が作り出した通貨の発展は以下のように推移した。


イタリアで発生した譲渡可能な支払い証書

⇒イングランドの金細工士の小切手

⇒イングランド銀行の紙幣(銀行券)

欧州では、民間の金融業者が主導して作り出した通貨が、国家権力を掌握していく過程の
中で中央銀行が生まれた。

現在まで自由民主主義国家の政府に通貨発行権が存在しない理由は、この流れの中で生
じた。

19世紀になると銀行業の通貨発行権の独占は、より大規模な国家に対する管理体制へと
発展を遂げる。


P86
「国家財政の分野では、1800年以降、以前より広い範囲で銀行が問題解決にあたるように
なった。一方では、主要な国民国家にとって、その戦費や帝国経営に要する費用が巨大な財
政負担となり、国家の債務を銀行が管理していく必要性が拡大した
他方、商工業が近代化するにつれて、貨幣ならびに信用制度の体系を国家規模で整える必要
性が増した。すなわち、銀行券発行の管理が19世紀の銀行業の主たる関心事となってきた
のである。」

 

現在の日米欧が陥っている巨額の国家債務と、その支払いのための更なる借金や増税(消費
税増税など)は、このシステムが原因となって発生している。

次に19世紀に勃興した国際金融軍事権力の代表としてのロスチャイルド財閥について。


P106
「1904年までにロスチャイルド一族は、ヨーロッパ諸国に対し、総額で13億ポンドという息を
のむほど巨額の債権を有するにいたった。
ロスチャイルド主導のおかげで、とくにフランスは1871年の戦争後、プロイセンに「賠償金」を
支払うことができたし、イギリスが1875年スエズ運河の支配権益を買うにあたっては、ロスチ
ャイルドの介入がその転機となったのである。」

 

当時の超大国である大英帝国やフランスが如何にロスチャイルド財閥に依存してたかがよく
わかる記述である。

ロスチャイルドは19世紀にイングランド銀行を掌握したと言われており、その通貨発行権益で
大英帝国に融資を行い、国家運営に圧倒的な影響力を及ぼしていった。

金貸したる国際銀行家の国家に対する優位性は、現在の超大国であるアメリカや欧州連合に
おいても似たような状況が続いている。

次に19世紀に超大国であったイギリスや欧州諸国が植民地に自国の銀行システムをモデル
にした通貨システムを導入していくことについて。


P127~P128

「イギリス、フランス、ドイツをはじめとする大国は、銀行業向けの資本のみならず、組織、専門
的技術、さらには自国の銀行の職員すらも提供した。

なかでもイギリスは、自国領、他国領を問わず、特に目立っていた。
スコットランド型の株式銀行が、早くも1817年にオーストラリアに足場を築いた。
同年、ニューサウス・ウェールズ銀行がシドニーに、そしてモントリオール銀行がカナダに設立
された。」

「イギリス領内に設立された主要銀行の多くが経営の本体をロンドンにおき、主としてイギリス
人株主によって資本調達がなされていた。その典型的な例をあげておこう。
オーストリラリア銀行(1835年)、南オーストラリア銀行(1837年)、英領北米銀行(1836年)
、そして植民地銀行である。」


こうして中央銀行システムが世界に拡大していくが、20世紀初頭の中央銀行の行員数の数は
その権力に比べてそれほど多くはなかった。


P148
ステイトバンクや中央銀行は比較的少数の職員で仕事をしていた。
この主の銀行で最大手のイングランド銀行でもその行員数は、およそ700人であった。」


民間が所有する中央銀行の登場により、通貨発行権の操作は、極少数の人間に握られること
になったのである。

次に、中央銀行の連合体としてのBISの設立について。

第一次世界大戦後のドイツの賠償問題に絡んで設立されたのがBISである。

中央銀行が民間銀行を集権化したシステムならば、BISは各国中央銀行を集権化するための
システムであった。


P168
「協商国の債務とドイツの賠償金の錯綜した関係を解きほぐすことは、国際金融政策上だけの
問題ではなかった。

それは、銀行業界にとっても極めて重要な問題であった。

J・Pモルガン・ジュニアやクーンレープのポール・ウォーバーグ。フランス銀行頭取のエミール・
モロ、ベアリング社のレヴェルストーク卿といった重鎮たちが、1929年のヤング案策定に関与
した。

ヤング案は1930年にバーゼルで設立された国際決済銀行(BIS)の形をとって、銀行史に不
朽の名を残すことになった。

ベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、日本およびイギリスの中央銀行は全てBISに参加し、
その後、オランダ、スウェーデン、スイスの中央銀行及びアメリカの商業銀行が加わった。

BISの業務 銀行業における最初の、真に国際的な共同作業 には賠償金支払いの振替や
他の国際債務の決済が含まれていた。」

こうして国際金融軍事権力による通貨発行権の更なる集権化が進められていくわけである。

一方、強大な政治権力の登場は、通貨発行権を独占する銀行業にとって大きな脅威となる。

その一例がファシズム政権化で行われた中央銀行の独立性の剥奪である。

P189
「第二次世界大戦中ならびに戦争直後の時期には、政府の政策と銀行業との結びつきが著し
く強化された。
ドイツでは、1930年代中期から、主に銀行権流通高と政府短期公債発行高を大幅に増やす
ことによって軍事費の供給が進呈んしていたが、その後、ライヒスバンクはヒットラー政権によ
ってしっかりと統制された。
総裁のヒャルマールシャハトおよび同行理事たちが1939年1月に解任された後は特にそう
だった。」


中央銀行の国有化は、ドイツだけでなく、日本でも起きた。
1942年にそれまで民間の株式会社であった日本銀行は、政府によって国有化された。

意外なことだが中央銀行の国有化はファシズムだけではなく、イギリスやフランスのような
自由民主主義国でも起きたことである。


P190

「このような一時的な不幸な出来事とは全く対照的に、1945年のフランス銀行の国有化と
1946年のイングランド銀行の国有化は、銀行業の特筆すべき伝統に終止符を打ったので
ある。

5世紀ないしはそれ以上もの間、基本的には民間人に所有され、民間人で構成された機
関が、しばしば自ら大きな危険にさらされながらも、君主たちや政府の銀行として、これま
でずっとその職務を果たしてきた。

戦後、その地位が変わるまで、イギリスとフランスの中央銀行はそのような類まれな最後の
銀行だったのである。」


中央銀行が国有化されたからといって、政府が通貨発行権をえたといって良いのだろうか。

戦後に欧州はEU欧州共同体の創設に乗り出した。

EUに加盟するには、中央銀行の独立性を認めなければ加盟できない。

EUに加盟しているイギリスもフランスも中央銀行を国有化しても、通貨発行権を自由に行使
できるような状況ではなかった。

そして、各国の中央銀行はBIS国際決済銀行によって結びついていた。

EUの発展版であるユーロ通貨の導入によって、欧州諸国の通貨発行権は政府からより遠い
ものなってしまった。

結局、実質的には未だに民主的に選ばれた政府は通貨発行権を行使できない状況がつづ
いているのである。
そのことは1998年に金融ビックバンによって大蔵省を解体し、日銀の独立性を認めた現在
の日本でも言えることである。

米国も1913年の民間が所有する中央銀行であるFRBの創設以降、国際金融軍事権力の
カルテルに国家が絡め取られている。
現在の日米欧が陥っている莫大な国家債務という病は、民間の通貨発行権益と、それにま
つわる様々な社会操作によって作られてきたシステムから生じる実に根の深い病なのである.
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