誰のためかはわからないグローバルリーダー養成講座(仮)

コンペの価値と応募者数の関係

2015/08/18 18:16 投稿

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  • 経済
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前回の続き。

やっぱりどれだけ中身やテーマの薄いものに意味をつけられるかが、クリエイターの価値の優劣を決めるんだろうか。例えば観光をはじめとした資源が豊富な自治体の歌詞を考えるのは誰でも出来るけど、紀の川市のように資源に乏しい自治体だと、途端に歌詞を書くのが難しくなる。だからそういう自治体に歌詞を提供できる人が、高い価値を創出できる人ということになると。


つまり優れたクリエイターということになるわけか。ちなみによくラジオCMのコピー大会とかあるけれど、たまに優勝作品で「何でこれが優勝するんだ?」というのを目にすることがあるよね。あれもきっと同じ話で、審査員は、どれだけ下らなくて地味な商品のコピーを工夫して考えたかを見ているんじゃないかな。取っ掛かりやすそうな会社のコピーを面白おかしく書くのは、誰だってできるもんね。

そしてそういう難易度の高いコンペの方が、実力の要素がより反映される、良いコンペになるんだね。説明したように「難易度が高い=価値が高ければ高い」ほど優勝候補者の数が減るので抽選的要素が減る一方で、まれとか中谷優心のようなクソコンペになると、優勝候補者が増えるので、抽選的要素が濃くなっていく。


そしてコンペの価値が高ければ高いほど、応募数自体も減っていくということかな。つまり価値が高いものの方が供給可能者が減ることになるので、応募者数も自然と減っていく。実際今回の紀の川市歌の応募作品は確か92通だったそうだけど、それは敷居と要求されるレベルの高さから、敬遠した人が多数現れたことを示しているんじゃないかな。単にPR不足とか、そういう類の話ではないと思うな。



やっぱりピアプロ見ててもそれは思うもんね。歌詞募集と書かれた作品結構眺めてるけど、単純で簡単そうな曲には歌詞書く人が沢山現れるけど、壮大な曲に従ってその数が減っていく。多分それは曲の価値の高さが影響してるんだと思うな。

ちなみに自分は以前「演歌の方がJ-POPより価値が上」と書いたけれども、これは間違っていたんだろうか。というのももし演歌がJ-POPより上位にあるならば、ある程度J-POP歌手や作曲家として売れてきた人の中から、演歌に転向する人が何人が出てこないといけないことになるよね。

つまりJ-POPは演歌の登竜門的な位置づけにならないといけないはずなんだけど、でもそういう動きは現状見られることはないので。価値自体はJ-POPも演歌も変わらないと見るべきだったんだろうか。

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