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宗教は不要なものかな

2013/06/26 10:47 投稿

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田原総一朗 『元オウムの上祐氏に会って考えた、「宗教」と「哲学」人を救えるのはどっちだ?』

http://ch.nicovideo.jp/gendai/blomaga/ar269986

宗教と哲学、どっちが救えるかと言ったら、人により違うということなんでしょうね。自分はどちらかというと哲学の方が救われる気がしますけど、他の人によっては宗教が効くという人もいて、だからこそ両者は並存している。

そもそも何故宗教が存在するかというと、一つには一体感を持たせるのに有効だったからですよね。例えばイスラム教であれば、国の概念がなく小さな部族同士が争いを続けていたわけですけれども、イスラム教が生まれたおかげで、「同じ宗教を信じる者同士じゃないか!」ということで、近隣の部族との一体感が生まれてきた。確かに宗教があるせいで他の宗教との軋轢は生むかもしれないけれども、少なくとも同じ宗教同士では仲良くやれる。

もう一つは国民を大人しくさせるのに便利ってことなんですかね。確かに哲学というのは高度な論理性などが要求されるがために、型に嵌った時には謎が解け、人間の心の不安やモヤモヤも解消されるのだとは思いますけれども、でも同時に高度な思考が介在するためにアホには使えないわけです。だってどうせ「そんなこと言われてもわかんないし」って言うでしょ?

だからそういう時は「神様が見てるよ」と一言言えば良いだろうと。何か理由はわかんないけど、とにかく凄い神様がいて、服従しないといけないというものを作ってやればアホな奴、脳筋には効果的だろうと。体育会なんてそうでしょ? 先輩から従えといわれたら、理屈抜きに従うでしょ?

あとは心の拠り所なんでしょうかね。「苦しい時に誰かが支えてくれる」と思うと、人間は頑張れる。先日のサンデー毎日さんでしたか、マツコデラックスさんが書かれてたことなんですけど、10年ぐらい前、彼(彼女?)がボロアパートに住んでいた頃、周りがキチガイだらけで眠れなかったんだって。隣はバンドマンでしたか、大音量でガンガン音楽を鳴らし、反対側のおばあちゃんは頭がボケてるのか、夜中に何故か掃除機をかけている。そして隣の家では生まれたばかりの子供がワンワン夜鳴きをし、向かいの家では網戸を開け放った下手から、女性の喘ぎ声が聞こえてくると。

その時彼(彼女)は心の中で叫んだそうです。「神様、お金も何も要らないから、せめて私に日の目を見させてください!」と。

ジョン・ウーという映画監督がいますね。あまり映画見なくてよくわからなくて、まあレッドクリフとか、フェイスオフとか、そういう作品作ってる人らしいんですけど、彼は幼い頃香港で過ごしていて、色んな暴力を目の当たりにしたそうです。貧しかったからなんでしょうね、数々の暴力を受け、友達や周りの人間もどんどんと犯罪に染まっていき、このままでは自分も犯罪者になりかねないと考えた。

でもその時彼は教会か何かでこうお祈りしたそうです。「神様、お願いだから僕を悪い子にしないでください!」

人間、何か目的を達成しようとする時は孤独になるそうです。人は勝手なものでね、努力しなさい勉強しなさい夢を叶えろとは言うけれど、実際にはその過程で手を差し伸べてくれるわけではないし、それどころか沢山の困難や障害を作って邪魔してくるわけだ。みんな人が成功するのを見るのは悔しいし、どいつもこいつもアホだからな。人を引き摺り下ろすため無視したり罵ったり、殴ったり蹴ったり嫉妬したり妬んだりと、様々な手段を使って妨害してくる。そしていつしか挑戦者の心は折れて、立てなくなってしまう。

でもその時に「誰かが見てくれている」という安心感があったなら、どれだけ心強いだろう。
そう考えると、どこかで見てくれる「神様」の存在というのは、大きいのだろうなと思います。世の中何が正しいかわからない世界です。未だ解明できない事象が存在し、様々な誘惑やら価値観が溢れ人々がその海の中右往左往しながら足掻く中、本当に信じられるものは何かと言われたら、それは目に見えない至高の存在になるんではないか。そんな風に思います。

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