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抽選と配給制度

2016/04/16 06:10 投稿

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前回の続き。

「給料あげろ!そしたら戻る!」元保育士の8割「復帰したくない」<調査結果・上>

https://www.bengo4.com/internet/n_4526/

前回チケットを値上げすれば良いと書いたけれども、チケットの争奪戦が起きていることと、マクロ的なインフレとは、どのような関係があるんだろう。

自分は保育士の給料を値上げしてもマクロ的にインフレな以上保育所は不足すると書いたけれども、そう考えると同様にチケット値上げしようが抽選しないといけない状況は変わらないということだろうか。

でも保育士の給料値上げの場合は需要を増やす方向に働くのに対して、チケットの値上げは需要を抑える方向に働くわけだよね。そして前者はマクロ的な貨幣の増加を招くが、後者は招かない。だから両者は別の話な気がするんだけど。

計画経済

https://kotobank.jp/word/%E8%A8%88%E7%94%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88-58600

まあいいや。では前回の抽選の話に戻る。説明したように、抽選というのは不平等な制度だ。本来であれば物というものは、人間自身が考える効用、価値に基づいて、自由に手に取ることができるもののはずだ。つまり自分のお財布や食べたいもの、欲しいものと相談しながらスーパーやらユニクロやらに行って、自由に商品を買う。

そして万が一品物が売り切れた場合には、オークション方式で購入者を決めるのが自由主義の理念にかなう。つまりメロンパンでもセーターでも何でも良いけれども、購入希望者を集めてセリを行って、高い値段を提示した人がその商品を手にできる。こうすれば本当に欲しい人が商品を手にできるし、カネというわかりやすい基準によって勝者が決まるので、公平であるといえる。

しかし抽選という行為はそれら原則を無視するものであるので、自分に言わせると不公平ということになる。例えば1万円出してもメロンパンが欲しいという人と100円でメロンパンが欲しいという人がいる場合、本当にメロンパンが欲しいと思っているのは1万円出したいと思っている人の方だろう。しかし抽選で100円でメロンパンが欲しいという人が当選すると、その人の熱意は全て無駄になる。

思うにこのようなやり方は、不平等かつ不公平であるだけでなく、自由競争の理念とも反するのではないだろうか。北朝鮮のような共産主義的、計画経済的と言えるものではないだろうか。

熊本震度7 コンビニ各社が食品を被災地に大量搬送 イオンも大型店で対応

http://www.sankei.com/economy/news/160415/ecn1604150020-n1.html

正にタイムリーな話題でもあるのだけれども、食糧の配給制度を例に挙げて説明しよう。例えば被災地にこのような食料品が大量に送られて、被災者に配られたとする。するとどの人にも不公平不平等がないようにしましょうということで、1人あたり同じ数を配ることになるのだろう。例えばおにぎり一個にカップ麺一個、そして水のペットボトル1つとかね。

一見すると同じ数が配られているので公平に見えるよね。でも人間には好き嫌いというものがある。つまりおにぎりやカップ麺が好きで仕方がないという人にとってはおいしく食べられる一方、カップ麺が嫌いと言う人や、おにぎりよりもパンの方が好きだという人にとっては、この支援物資は苦痛でしかないわけだ。食べる気がしない。

つまり人間は1人1人、物に対しての満足度が違うということがわかる。ではこの場合に、果たして本当に平等な分配がなされているといえるだろうか。確かに「被災してるんだから文句を言うな」とか「同じ数配ってんだろーがカスが」というのは心情的にはわかる。しかし人間には好みがあり、その好きなものを手にとって食べることができないという事態が発生している以上は、満足度が平等ではない以上、何をどれだけ配ろうが公平な分配にはなっていないはずだ

闇市 平均月給100円の時代にコッペパン1個10円でも売れた

http://www.news-postseven.com/archives/20150924_349272.html

そして人間の効用を無視した分配というものは、別の問題を生み出すことになる。つまり前述の例でいうと、パンが食べたいという人はパンを持っている人を見つけて、手持ちのおにぎりやカップ麺と交換してくれとお願いすることになる。その結果記事にあるような闇市が栄えることになる。闇市は、正に人々の物への効用が違うことから生まれた必要悪であるといえる。

過熱する“チケット転売問題” アーティスト側、ファン側それぞれの思いとは?

http://www.oricon.co.jp/special/48851/

以上のように、物の効用を無視した資源の分配は、結果として人々の不平等感や不法行為を誘発するということがわかる。このチケット転売問題というものも、正にその資源分配の不平等が産んだツケであるといえる。本来であればチケットの販売額以上の効用が得られると考える人たち全てが購入できるように、席数と価格を決定すべきだろう。例えばライブに1万円以上の価値があると考える人が1000人いるのならば、1000人入る箱を確保した上でチケットを1万円で販売すれば良い。

しかしそれを行わずに適当に価格付けや箱の確保を行っている結果、チケットが買えない人が現れ、抽選という不平等な行われたり転売が発生したりしているのではないだろうか。

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