赤HELL党の鯉に恋した故意日記

南の夜空に赤く輝いた一番星、広島に優勝を運んでくれた石原慶幸引退

2020/10/14 09:00 投稿

コメント:1

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  • 石原慶幸
10月12日、速報が出ました。石原慶幸選手、今季限りで引退。

あぁやっぱりな、と思った気持ちと、
そう思っててもいざ発表されると寂しいな、という気持ちが半々でした。

石原は2001年ドラフト4巡目でカープに指名されました。
同期入団は現巨人の大竹や今RCC解説者の天谷になります。
他球団でいえば、日ハム江尻・阪神安藤・ヤクルト石川・オリックス平野・
西武おかわり君、栗山・ダイエー寺原、杉内と今も現役で頑張ってる選手もチラホラ。

2年目の2003年から出場の機会が増え、西山・木村一を抜いて頭角を現しました。
翌年から初開幕スタメンを勝ち取ると、この年はほぼ全試合に出場し、
打撃も安定して規定打席に達して.288 6本塁打と、
西山から完全に正捕手の座を勝ち取りました。

しかし2005年にケガと精彩を欠くプレーで倉に正捕手の座を奪われてしまいます。
2006年は倉と併用で使われるようになりますが、
ネットで話題になった飛びキャッチャーとして有名になったスクイズプレーは、
この年のプレーになります。

そして2009年、第2回WBCの代表選手として選ばれて試合にも出場しました。
ですが、登録野手で唯一打席に立つことはありませんでした。

その年、チームのキャプテンに任命され、
更にズムスタこけら落としのオールスターでは初めてファン投票で1位も獲得しました。
ですが倉と共に打撃不振に陥り、
あわや規定打席到達で打率一割という不名誉な記録を作るところでした。
打率は.206でギリギリ回避しましたがサヨナラ本塁打含め意外性な一発も秘めていて、
シーズン10本塁打は広島捕手では33年振りとなる二桁本塁打となりました。

2010年、この年石原は国内FA権を取得します。
当時バッテリーを組んでいたマエケンと共に最優秀バッテリー賞も受賞し、
去就が注目されましたがFA宣言せずに3年契約 年俸1億円で残留してくれました。

2011年、これも石原を思い出す上で話題に出てくる一つですが、
満塁からの押し出し死球でサヨナラ勝ちを決めた際、グッと拳を掲げて一塁へ向かいました。
この辺りから石原が何かやるんじゃないか、と思わせる様になってきます。

2012年には岩瀬から一死満塁でサヨナラスクイズを決めたり、
2013年は自身4度目のサヨナラ本塁打、そして5年連続サヨナラを記録しました。
同年には砂を掴んでランナーを牽制する珍プレーも記録します。

2014年、またも極度の打撃不振と肩の故障で會澤に正捕手の座を奪われてしまい、
打率も二割を切る成績となってしまいました。

しかし2015年、最高のパートナーとなるジョンソンが入団します。
初のバッテリーでジョンソンを準完全試合に導くと、以後ジョンソンー石原バッテリーは、
広島の共通認識となりました。
そしてこの年は新井さんが広島に復帰した際に
「新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会」を率先して開催しました。
これで新井さんもチームにすぐなじむ事が出来ました。

2016年、この年はジョンソン・黒田・ノムスケの登板時には
スタメン捕手として出場しました。25年振りとなる優勝に貢献したという事で、
セリーグ最年長となる37歳で初めてGG賞・B9を獲得しました。
巨人戦で三塁へのサイレント走塁を見せたのもこの年でした。

2017年からは磯村の台頭もあり、徐々に出場数が減っていきます。
2017年に1500試合出場・2018年に史上最年長、広島捕手初の1000本安打を記録しますが、
昨年2019年はジョンソン先発の試合のみの出場となってしまいます。

そして今年リハビリの最中、引退を決意されました。


暗黒も途上途中も三連覇も経験し貢献してきた名捕手でした。
ありがとう石原、お疲れ様石原。

コメント

ケイオス
No.1 (2020/10/15 21:29)
石原、引退か。お疲れ様でした
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