主張
日本の戦争の善悪
間違い認めぬ首相の危険明白
今通常国会で初めての安倍晋三首相と野党党首との党首討論を聞きました。昨年の総選挙で大きく躍進した日本共産党は、志位和夫委員長が11年ぶりに討論に立ちました。志位氏がただしたのは、首相自身が過去の日本の戦争にどのような姿勢をとるかという点です。今年はアジア・太平洋戦争終結から70年です。この節目の年にあたって、侵略戦争を引き起こした当事国である日本の首相が、その戦争の善悪をどう認識しているのかは、首相の資格とともに、日本の前途にかかわる大問題です。
是非判断は政治家の責任
戦争認識の問題では、戦後50年に当時の村山富市首相が談話で「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り」「植民地支配と侵略」によってアジア諸国の人たちなどに多大な損害と苦痛を与えた、とのべ「間違った戦争」という認識を明らかにしています。
安倍首相には「間違った戦争」との認識はあるのか―。志位氏の端的な問いにたいして、安倍首相は、歴代内閣の談話を「全体として受け継ぐ」というだけで、自分の言葉として「間違った戦争」とは一言もいいません。あまりに無責任な姿勢に驚かされます。日本自身の過去の戦争の善悪を判断することは、国民の平和と安全に責任をもつ政治家に、もっとも問われていることだからです。
70年前、日本は「ポツダム宣言」を受け入れ、敗戦を迎えました。「ポツダム宣言」は、日本の戦争について「世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤」であることや、日本の「侵略」であることなどを明確に判定しています。日本がアジア・太平洋地域で戦争に乗り出したことを「間違った戦争」と認識することは、国際的にも歴史的にも、すでに決着がついているものです。
志位氏は「ポツダム宣言」に明記されている「間違った戦争」という認識を認めないのか、と追及しましたが、安倍首相は「ポツダム宣言」の受け入れは「戦争を終結させる道だった」などと繰り返すだけです。それどころか、「ポツダム宣言」の内容について「つまびらかに読んでおりません」「論評することは差し控えたい」などと耳を疑うような発言をしました。戦後日本の出発点にあたる「ポツダム宣言」についてこんな態度では、戦後の日本の首相がつとまるはずはありません。
戦後の国際秩序は、日本とドイツとイタリアによる戦争は侵略戦争だったという判定のうえに成り立っています。過去の日本の戦争を「侵略戦争」どころか「間違った戦争」とすらいえない安倍首相の姿勢は、国際的に通用しません。
「戦争法案」出す資格なし
安倍首相の姿勢は、日本の進路にとって危険極まりないものです。首相が今国会で強行しようとしている「戦争法案」は、日本にたいする武力攻撃がなくても、米国が世界のどこかで戦争に乗り出せば、その戦争に自衛隊が参戦する集団的自衛権の行使まで盛り込んでいます。米国は違法な戦争を繰り返してきた国です。日本の過去の戦争の善悪の判断もつかない首相に、米国の戦争が「正義」なのか「不正義」なのかの判断ができるはずがありません。
戦争の善悪の区別がつかない首相に、日本を「海外で戦争する国」につくりかえる「戦争法案」を出す資格などないことは明らかです。