「自国の安全保障」理由に
韓国政府が1965年8月13日、米国の要請に応じてベトナムへの陸軍戦闘部隊の派兵を国会で決定した経緯が、同国の国会議事録から判明しました。
それによると、米国主導のベトナム侵略戦争で、韓国に何の戦火も及んでいないのに、派兵は「自国の安全保障」のためだと説明。その根拠として集団的自衛権を意味する「地域的な集団安全保障」を挙げています。安倍政権が、「他国に対する武力攻撃」で、「我が国の存立が脅かされる」として集団的自衛権の行使を容認しているのと同じ論理です。
4700人が戦死
ベトナム派兵は、韓国軍にとって初めての海外派兵でした。韓国政府は米国からの経済援助と引き換えに、64年に工兵部隊などを派兵。65年に戦闘部隊1個師団の派兵を決定したのを皮切りに、戦闘部隊を増派。最盛期には5万人を派兵しました。73年まで、のべ約31万人を派兵。約4700人が戦死しています。
韓国政府は65年7月12日、国会に戦闘部隊の派兵同意案を提出。南ベトナムに対する「共産主義の脅威」が、「東南アジア自由陣営はもちろん、わが国の安全保障にも直接間接に大きな影響を与える」としています。
集団的防衛
さらに、8月13日の国会本会議で金聖恩(キム・ソンウン)国防相は派兵の国際法上の根拠を説明。「国際的な集団的安全保障体制」には、国連軍のような「一般的」なものと、米韓相互防衛条約のような「地域的」なものの二つがあり、今回の派兵は「地域的な集団安全保障体制に基づく」と答弁しています。米韓相互防衛条約は、相手国に対する攻撃を自国に対する攻撃とみなす「集団的防衛」(集団的自衛権の行使)を前提にしています。
戦地に可能
安倍政権は1日の「閣議決定」で、「他国に対する武力攻撃」であっても、「国の存立を脅かす」「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」場合があるとして、海外での武力行使を可能にしようとしています。しかし、これらの要件は時の政権の恣意(しい)的な判断で、いくらでも拡大され、自衛隊を戦地に送ることが可能になることが、韓国のベトナム派兵の経緯からも明らかです。