日本共産党の志位和夫委員長は10日、国会内で記者会見し、この間、安倍政権から出ている集団的自衛権の「限定行使」論について次のように述べました。
「限定行使」というが歯止めなし
この間、高村正彦自民党副総裁が、「集団的自衛権の行使といっても、無制限に行使するわけではない。わが国の存立を全うするために必要最小限のものに限定して行使する」という解釈改憲の主張を行っています。首相も同様の発言を行いました。こうした議論には二つの大きな問題があります。
第一に、「わが国の存立」に関わるか否かを判断するのは誰か。それが時の政権になるという問題です。
憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使容認をはかるということは、「海外での武力行使」への憲法上の「歯止め」を外すということです。憲法上の「歯止め」がなくなれば、時の政権の政策判断で、行使の範囲は無制限に広がることになります。「限定行使」というが何らの「歯止め」もなくなるのです。実際、自民党幹事長は、「自衛隊が地球の裏側まで行くこともありうる」とのべています。こうしたマヤカシの議論で、集団的自衛権への暴走を許してはなりません。
砂川事件最高裁判決を「根拠」とする牽強付会
第二に、安倍政権は「限定行使」論の「根拠」として、1959年の砂川事件最高裁判決を使おうとしています。同判決文の「国の存立を全うするために必要な自衛のための措置」のなかに、集団的自衛権も含まれるというのです。これはおよそ成り立たない牽強付会(けんきょうふかい)の論にほかなりません。
もともと、砂川事件裁判というのは、在日米軍の存在が憲法9条に違反するのではないかが争われた裁判でした。判決文のどこを読んでも、個別的自衛権に関わる記述はあっても、集団的自衛権の行使の手掛かりになるような内容はありません。
だいたい、仮に、この最高裁判決が部分的にせよ集団的自衛権の行使を容認するものであったならば、憲法の有権解釈権をもつ最高裁の決定に拘束されて、その後の政府の憲法解釈にもこの立場が反映されたはずです。
しかし、この最高裁判決の直後の、1960年に行われた当時の林修三法制局長官の答弁を見ても、「集団的自衛権は、日本の憲法上はない」と明言しています。その後の政府見解でも、憲法9条との関係で、集団的自衛権の行使は一貫して否定されており、1981年にはまとまった政府見解として「憲法9条のもとで集団的自衛権行使は許されない」ことが閣議決定されています。
砂川事件最高裁判決が集団的自衛権の「根拠」になるという勢力は、この55年間、政府が最高裁判決と異なる憲法解釈をしてきたとでもいうつもりでしょうか。そのような議論が成り立つ余地はありません。
国民の批判をかわすためのごまかし
ここへきて「限定行使」論がにわかに出てきたのは、集団的自衛権への国民の不安と批判が急速に高まってきていることがあります。国民の批判をかわすためのごまかしの議論を打ち破り、「海外で戦争する国」への暴走をストップさせていきたいと決意しています。