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琴葉探偵事務所 ~呪いの指輪~

2019/02/17 15:13 投稿

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 ~あらすじ~

魔道士の集う町、ロイドボイスに一つの探偵事務所がありました――――

……事務仕事に追われる琴葉探偵事務所の元へ、警察がやって来たようですが……?

※琴葉探偵事務所シリーズは短編集です。登場人物、世界観等はシリーズ内で統一されていますが、一作品ごとにお楽しみいただけます。ですが、もしよろしければ、同シリーズの他の話も読んでいただけますと幸いです。

当シリーズの新作、別話はシリーズ、ツイッター(@KordAzisasing)等からお探し下さい。

~以下本文~




 心臓が飛び出そうになる感覚とはこのことか。
 深夜、暗闇の中。
 浮かんでいるはずの月は、こんな時に限って一切の姿を見せてはくれない。
 青髪の少女は必死に自身の発する全ての音を抑えようと、左手で口を抑え、荒い息遣いを強引に引っ込めている。
 チッ、チッ、と携帯している時計の短針が鳴っている。この瞬間に限っては、そんな些細な音が、絶望的な程に大音量だった。
 耳に、頭に響き渡る。その振動で警鐘の鐘が揺れ、甲高い金属音(アラート)を発する。
 身体は震える。その動作によって何かしらの音を立ててしまうかもしれないからと、必死に自身をなだめる。
 しかし、自分の身体だというのに全く言うことを聞いてはくれない。
「……ははっ」
 今は”恐怖”の前に膝をつく、従順で哀れな存在であることを自覚し、自嘲的な苦笑いを浮かべた。
 ────刹那。少女の耳に、新たな音が届く。
 弛緩していた口元をキュッと噤む。
 口から続く管全体を握りしめられたような感覚。
 地面に足の裏が接地する。その足で地を蹴る。今度は逆の足の裏が着く────そんな光景が脳内で展開されていく。
 そのイメージは、意図的に視界を下げていた。

 ────その恐ろしい姿を思い出さないように。
 

  琴葉探偵事務所~呪いの指輪~

 ────────
 ────── 
────
朝。といっても、小鳥のさえずりは止み、人の動きが活発になった頃。
「──ハッ!?」
 青髪の少女は最悪の目覚めを迎えた。
 先程まで見ていた夢と、こうして意識が覚醒して流れる現実の時間とが繋がっている感覚。
 そのせいで、先程の悪夢が物理的に近い距離にあるように感じた。
「ゆ、夢か。はぁ、良かった……」
 とはいえ、現実に起きた出来事でなかったということはありがたい事実であった。
 全身が酷く強張っていることを自覚する。寝汗もひどい。睡眠を強引にブツリと断ち切られたせいで、まだ身体のどこかは眠っていると勘違いしている。
 夢を見たのも久しぶりだったが、それが背筋も凍る恐ろしい悪夢だったことに、少女──琴葉葵はため息をついた。
「自分で自分を苦しめてるみたい……アホか」
 やり場のないストレス。葵は頭を抱えて上半身を起こす。
布団がそれに倣って、肩から胸、そして足へと滑り落ちる。落ちた体温も相まってか、少しだけ寒さを感じた。布団を抱きかかえる。
 まだ全然エンジンのかかっていない状態で、葵は今日の過ごし方をイメージする。
「どうしよう……まず朝ごはん、今日は私の担当。それ食べて、コーヒー淹れて……そうだ、今日はいい加減に残件整理をしないと」
 探偵業の性質から、特定の日時を指定された仕事も幾つか抱えている。それらは整理しておかないと後々痛い目を見ることは分かっている。
 全く把握できていない仕事が突然降りかかってくる恐ろしさは、何事にも例えることはできないだろう。
 ──分かっているのに、さあやろうと意気込んでから三日間手付かずであった。
 葵は立ち上がる。ぐらりと一瞬意識が揺らいだが、すぐに持ち直した。
「んぅ~~~! ……よし、起きた」
 真上に向かって伸びをして、睡魔をやっつけた。
 自室を出て、事務所として運用しているリビング。
 葵はポールハンガーに掛けてあるエプロンを着る。
「お姉ちゃん起こすのは……もうちょっと後でいいか」
 事務所にジュウジュウと香ばしい音が広がっていく。


 魔道士の集う町、ロイドボイス。
 最も栄える商店街から少し離れたところに突然ぽつりと現れる平屋こそが、琴葉探偵事務所である。
 今日も姉妹はのんびりと朝を過ごしている。
 朝食のトーストを食べ終えてコーヒーを優雅に楽しむ葵は、向かいに座る姉に向かって、言う。
「──今日は特に仕事は無いかな。私は予約されてる依頼の確認だけ進めるけど」
「なら、ウチはいつも通り売り込んでくるわ!」
 自身はフリーである、と理解した瞬間に目を輝かせてそう言ったのは、葵の双子の姉──琴葉茜だ。
 二人は容姿が瓜二つで、髪色以外に目立った違いはない。どちらも美少女に区分されるだろう。端正で可愛らしい顔つきにスレンダーな体型。
 葵は薄目で茜を見つめ、言う。
「……変な依頼持ってこないでよ?」
「葵は心配性やなぁ、ウチが真っ当じゃない依頼を持ってきたことなんて──」「あるよ」
 冗談交じりの言葉に跳ね返って来たのは、冷めきった、地の底から響くような低い声だった。
「何度も、あるよ」
 茜はあまりの恐怖に身体を縮こませ、ぼそぼそと言う。
「す、すいませんでした……」
「反省しているなら今度からその辺しっかり考えて依頼受けてきて下さーい」
 葵はふふっ、と笑みを零して立ち上がり、食器を台所へ運ぶ。
「あ、お姉ちゃん私洗い物してるから、事務所開けてー?」
 茜は立ち上がり、扉へ向かう。
「…………ん、何やこれ?」
 そして扉を開けてみると、入り口付近の足元に小さな箱が落ちていた。
 茜は反射的に拾った。
 高級感のある黒色。ふわりとした手触り。茜は首を傾げる。
「これって、指輪入れるヤツちゃうの?」
 パカリと開けてみると、クッションの切れ目に収まった銀色の指輪が入っていた。
「うわっ、入っとる──葵ー!」
 葵は首を捻り、振り返る。
「何ー?」
「何か事務所の前に指輪が落ちとる! 綺麗な箱付きで」
 葵は眉を潜める。
「え、どういうこと……?」
 ぼそりと呟き、洗い物を一時中断。手を拭いて茜の元へ行く。
「指輪って何?」
「ほらこれ! そこに落ちてた」
 葵は茜からリングケースを受け取る。
 汚れもない、綺麗な状態だった。中を確認する。これは安物ではないだろう、それこそ結婚指輪ではないか?
 売れば高くつきそうだ、という思考が一瞬現れ、すぐさま振りほどいた。
「うーん、何だろうこれ。持ってる感じ、魔法的な罠が仕掛けられているとも思えないし。……さすがに指にはめはしないけど」
 この手の呪術は定番である。アクセサリーを身に着けた者の運気を落とす、体調を崩させるくらいはまだまだ甘い方だ。
 優秀な魔道士であるほど、呪術を探知させまいと忍び込ませるのが上手い。葵の知り合いである優秀な解析魔法の使い手ならばともかく、葵は自身の判断をそこまで信頼していなかった。
「とりあえず、落とし物の張り紙でも貼っておいて、この指輪は事務所で保管しておこう。外気に晒し続けるにはもったいない綺麗さだし」
 というわけで、琴葉探偵事務所に謎の指輪が舞い込んだ。

数時間後。お昼時。
 葵は指輪の忘れ物を預かっている旨を伝える張り紙を作成した後、予定通り残件のスケジュール整理を行っていた。
 進捗は上々だ。葵にしては珍しく、午前中から集中力を高く維持できていた。
 バタン、とノックなしで事務所の扉が開く。
「ただいま~お昼にしよや葵」
「おかえり。ちょっと今いい感じだから後でいい? 食べに行ってきてもいいけど」
「なら待っとるわ、後で一緒に食いに行こ」
「了解────もう少しでキリ良いとこまでいくから待ってて」
 茜はボフンと中央の来客用ソファに勢いよく座る。
 手持無沙汰な彼女の目に映ったのは、テーブルに置かれている、朝に見つけた指輪。
「…………」
 茜は何となく箱を手に取り、360度、クルクル回して観察する。
 何気なく中を見て、指輪を手に取る。上にかざすと、キラリと室内に入り込む陽光を反射して輝いた。
「綺麗やなぁ……」
 茜はそう呟いて、ふと、自分の指に入るだろうかと気になった。
 そして、右手の薬指にはめてみる。
 おっ、思っていたより丁度良いやん。
「────えっ。ちょ、ちょっとお姉ちゃん!?」
 葵は集中できていた故、茜の行動に気が付かなかった。
ガタンと立ち上がり、言う。
「指輪付けちゃったの……?」
 茜は葵の勢いに面食らう。キョトンとして、言う。
「え、う、うん。サイズええ感じやな~って……」
「呪われてるかもしれないのに! 何も異常はないの!?」
 茜は急いで自分の状態を確認する。
 特に、身に起こったことはなかった。
「別に何も……あ、指輪も取れたわ」
 茜は左手で指輪を掴むと、スルリと指から抜いた。
 葵は息をつく。
「あぁ、良かった……。もう、軽率だよ。今回は何もなかったからよかったけどさ」
「ごめんて、ちょっとぼーっとしてたわ」
 葵はふぅ、と脱力して天井を見上げる。
「何か集中力切れちゃった……」
 茜はここぞとばかりに笑顔を向けて、言う。
「ほんなら今から食べに行こや! もうお腹と背中引っ付くわ」
「はいはい……。あ、指輪貸して。誰も居なくなるしこっちの引き出しに入れておくよ」
 葵は確かに、指輪の入ったリングケースを事務机の引き出しに仕舞った。
 ササっと『外出中』と張り紙を作る。
「よし、どこに食べに行く?」
「小戸屋!」
 茜は即答した。エビフライが大好きな茜が「あそこのエビフライがロイドボイス一や」と認める料理店である。
 葵は肩をすくめる。
「好きだよねぇ、そこのエビフライ。美味しいけどさ」
「何や、葵もよく分かっとるやん。あそこのエビフライは格別やで~」
「ブリッブリだよね、ブリッブリ」
「そうそう、サクッと噛んだ時に帰ってくるあのブリッブリの食感が堪らへん! くぅ~話してるだけで早よ食べたなるわ!」
 二人は談笑しながら事務所を出る。葵は振り向き、ぺたりと張り紙の上にもう一枚重ねて張り付けた。
 しっかりと鍵を閉め、ドアノブを回して開かないことを確認する。防犯対策はばっちりだ。
 他愛のない話を展開しながら、二人は商店街方向へと歩いていく。

 ───────
 ──── 
──笑う。不敵な笑み。
路地裏。暗い空間。
 間違いない。持ち主が更新された。
 これで私は安全だ、と口端が吊り上がる。痙攣しているかのようだった。
 ──私は悪くない。
 ────悪いのは……。 
───────…………。
 
 ごめんなさい───────若い探偵さん。


 異変に気付いたのは夕食をとっくに食べ終え、月が空高く、淡く闇夜を照らす頃だった。
 外は日中の喧騒も遠く、深夜である。
 葵は残件整理を続けていた。
「うっ! 肩が……!」
 肩こりが唐突に葵を襲う。筋肉の繊維が完全に固まって、可動範囲が極端に狭まってしまったかのようだ。 
 堪らず首を回し、両肩をぐりぐりと回す。血が凝り固まっていた筋肉へと流れ、循環が活発になる。
「んん~~~!! ふぅ、コーヒーでも淹れようかな、いやでも飲み過ぎるな、と医者さんに注意されてるし……」
 伸びをして、独り言を呟いた。
 それだけでは足りず、葵は立ち上がり、腰をぐるぐる回す。
「あ、今日は満月だったっけ」
 窓から何気なく見上げた夜空には、丸い月が浮いている。
 太陽に比べれば何て地味だろう。積極的に光るわけでもなく、やんわりとした明かりで町を包んでいるだけだ。
 しかし、地味だというのに、その明かりは太陽のそれよりも強く印象に残る。葵はなぜだろうと考え込んで、すぐに納得できる回答を見つける。
「そうか、周りが暗いから……」
 そこで葵は、件の指輪を連想した。あれも、金のように豪華絢爛に光り輝いてはいないが、鈍く、静かに美しさを主張する──まるで月のようだった。
「そういえば、結局指輪の持ち主は来なかったな……」
 じぃ、と指輪を仕舞った引き出しの入り口を見つめる。
 こうなると、この目で見たいという欲求がふつふつと湧いて出てくる。
 葵は引き出しを開ける。ケースを手に取り、ぱかっと開けて────
「あ、あれ?」
 葵は目を疑った。肝心の中身はクッションのみ。指輪がどこにも入っていない。
 ざわり、と全身の肌が不安に撫でられる。
「え、どこどこ、もしかして失くした? いやそんなはずは、だってちゃんと入れたし……」
 葵は引き出しの中、足元の床に急いで目を配る。
 見つからない。スゥ、と身体表面の血が下っていく。
 昼下がりに寝ぼけて触ったりしたのだろうか? 実は席を外した僅かな時間で泥棒が入ったのか? 必死に消えた指輪を探しながら、脳内で答えが分かるはずもない予想が勝手に展開されていく。
「────うん」
 葵は折っていた腰を持ち上げ、静止する。
 これはもう、焦って探しても見つからないだろう。一旦、冷静になることにした。
 すると、事務所の扉が開く。
「ただいま~、ごめん遅なったわ、でも依頼貰ってきたで」
「あ、お姉ちゃん」
 茜は葵の顔色をチラリと窺う。日は跨いでいないが、それでも帰宅するには遅すぎる時間だ。 いつもならばガミガミと叱られるので身構えたが、
「朝に見つけた指輪知らない? 中身がなくなってたんだ、さっき確認したら」
 特に怒った様子もなく、尋ねた。
 茜は首を傾げ、言う。
「へ? あの指輪は葵が引き出しに仕舞ってたやん」
 葵は眉を潜める。
「それは知ってるよ。さっき見てみたらなくなってた、中の指輪だけ」
「ん~そう言われてもウチは別に持ち出したりなんてしてへんし……」
 茜は一応、着ていた服のポケットの中に手を突っ込んでみる。
 すると。
「────……うん? あれ、何で!?」
 茜は右手を恐る恐る引き抜いて、手の平をまじまじと見つめる。
 ポケットから取り出したのは──葵の探していた、銀色の指輪だった。
「ウチ、取ってへんで……?」
「…………」
 冷や汗が流れる。
 何かが始まってしまう。そんな予兆。
「や、やっぱ何かあったんかな、この指輪」
 茜の声も心なしか震えている。
 葵は立ち上がる。
「お姉ちゃん、今からでもゆかりさんに鑑定してもらおう? それで解呪もして────」
 そんな提案の途中。

 ──二人の背中を、ゾワリとした感触が襲った。
 
「「っ!?」」
 二人は咄嗟に身構える。
 しかし、不気味なほどに何も起こらない。
 絶対に居る。それなのに。
「誰かがいる、よね……」
 葵は茜に尋ねる。
「おるはずや……多分」
「何でそんな自信なさげなの……いつもみたいに動物的な直感はどこにいった」
「ウチは動物ちゃうわ! だって変やもん、生命感がないというか……」
「────本当に生きていないモノ、だったりして」
 茜はビクリと反応して、大きな声で否定する。
「はっ、な、何を言うとるんや! ユーレイとかか? おるわけないやろ、そんなん……」
 幽霊など、学問で説明のつかない物事を総じて”オカルト”と呼称される。幽霊はその中でも定番の話題だ。
 恨みだとか、強い感情を持った人間が死んだ際に残った思念である、などと専門家を名乗る者は説明している。 
 しかしこの界隈の話は、信じる信じないの差が激しかった。
 学術的に説明ができないならあり得ない、という反対派と、実際に見たから間違いなく存在するとか、居た方が面白いと愉快さを求める派閥が常にバチバチと火花を散らせている。
 葵と茜はと言うと、葵は信じていない派で、茜は居た方が面白い派であった。茜はたった今、居ないでほしい派へと衣替えしたばかりだが。
 だが、この状況に限っては、二人の脳内で同じような光景が浮かんでいる。
 そうら、どこからともなく壁をすり抜けて姿を現す、生物でない存在が────
そして何の音も無く。
 一瞬の内に、世界が暗転した。
「わっ!?」「ひゃあっ!?」
 二人は短く悲鳴を上げる。
 室内の明かりが突然消えたのだ。
「え、ライト壊れた?」
「ど、どうしよう何も見えへんで!」
 葵は右手を胸の前あたりに掲げ、
「いや、魔法で照らせば一旦は凌げ────あ、あれ?」
 どうしてか、魔法が上手く使えない。
 歳が一桁の子供でも使える程に浸透している簡単な魔法なのだが……なぜか、全く上手く機能しない。
「葵、どうしたん?」
「全然魔法が使えなくなってる! お姉ちゃんはどう?」
 葵に促された茜も同様の魔法を試すが、こちらも結果は同じだった。
「あれ、ホントや! 使えへん!」
 火を点ける魔法も試したが、やはり結果は同じだった。
 月の明かりを頼りに、葵は事務机裏の窓に向かう。
「やっぱりおかしいよ、街灯が点いてない……! でも近くだけだよ、遠くはまだ明るいもん」
 葵の言う通りだった。
 時間は深夜に差し掛かる頃だ、まだ周囲の窓が真っ暗になるには早すぎる。更には街灯まで消えていた。
 特異なのは、事務所の近くだけでその現象が発生していることだ。少し遠目に見れば、照明器具は問題なく機能しているようだった。
「一体何が、魔力が何かしら操作されているとか────」
 葵が思考の海に浸かろうとした時、
「────ぁ」
 玄関を向いていた茜は何かに気づいて、声にならない声が漏れた。
「あ、葵っ──玄関、に」
 震える声で叫ぶ。
 葵はその声色から危機感を募らせ、恐る恐る振り返る。
「ちょ、驚かせないでよ──」
 葵は振り返った。

 ────そして、視覚にその”何か”を見た。

 暗闇よりも更に黒いシルエット。
 人型のように見えるが、全身がまるで粘度の高い液体、溶けた金属のようにドロリと垂れている。
 目と思われる位置には鈍く光る、赤い球が二つ。これも原型から崩れ、溶けだしている。泣いているようにも見えた。
 人外。
 異形。
 人ならざるモノ。
 理解不能。
 二人に恐怖を刻み込むには十分過ぎる外見だった。
 そんなモノが、玄関の扉も開かずに、音もなく、事務所の中に入っている。
「──ぁ、あ」
 茜の喉が鳴る。カクカクと顎が震え、上手く喋れない。
「────」
 ”何か”は音を発さず、ゆっくりと前進して、やがて止まる。
 二人は身動きが取れない。
 そして静寂を破ったのは、
 ──────見ツ ケタ
 空間に響く音だった。
 背筋が腰から上へとみるみる凍り付いていく感触。
 刹那、動いたのは葵だ。
「お姉ちゃん、この窓から逃げよう!」
「──っ、分かった!」
 提案した葵は、急いで窓を上へと開き、外へと脱出する。
 屋根のない外に出ると、月のおかげで暗さはまだマシだ。地面に足を着いたところで、中を見る。
「お姉ちゃん!」
 ”何か”は鈍重だ。辛うじて真っ暗な室内でも、赤い瞳のおかげで距離感は掴める。
 しかし茜に近づいているのは間違いない。葵は焦った。
 茜は暗闇の中窓に向かって急ぐ。
「今行く! ──あ痛ぁ!?」
 鈍い音がした。
 急いだことが災いしたか、事務机の角に足をぶつけたのだ。
「だ、大丈夫!?」
「脛打ったぁ! いつつつ……よっと!」
 茜は痛みをこらえながら、どうにか窓枠を飛び越えた。
「走れる?」
「問題あらへん、逃げるで!」


 ──始まった。
あの二人は今から、心底恐ろしい体験をするだろう。きっと、これから毎年。
 ターゲットが完全にあちらに向いたことを確認した。
 もう思い残すことはない、と町を出ることを決意する。
 しかし、ふと、最後にこの目であれが自分ではない者を狙っている姿を見ておこうと思い立ち、探偵が駆けて行った道を覗く。
「────えっ? 何、あれ……」
 家と家の隙間から覗いた視界に映ったのは、”何か”の背中だ。
 それは記憶していた綺麗な人型とは程遠く。
 追いかけずにはいられなかった────
 
  
 二人は暗い暗い町を走る。
「で、どこに行くんや?」
「公園はどう? あそこなら視界開けてるし、隠れる場所もあるし、街灯いっぱいある!」
葵の提案に、茜は頷く。
「よし決まりやな──で、何やアイツは!!」
 暗闇と夜の町との境界線を跨いだところで、茜は愚痴るように叫んだ。
 葵は息を荒げながら、吐き捨てる。
「知らないよ、それこそ幽霊なんじゃないの!」
「幽霊なんか居るわけないやろ!」
「じゃあアレは何!? まさか着ぐるみ着た普通の人間とか言わないよね?」
「……い、いやもしかしたら魔物かもしれへんやん!」
「それだったら明らかに人間と同じ言語を発して、扉をすり抜けるようなとんでもない能力を持ってることになるね! 生きたまま捕獲して魔法学園の生物科にでも引き渡せば私たち一生遊んで暮らせそう!」
 茜は苦虫を嚙み潰したような表情で、ぼそりと言う。
「…………やっぱりアレ、幽霊なんかな」
「もうそう考えた方が良いかな~って! それにアイツから離れたら街灯も家の明かりも普通に点いてるし、やっぱり、ハァ、ていうか走るの速すぎ! ちょっと休ませて!」
 葵は立ち止まり、両ひざに手を着き肩を大きく上下させる。
「運動不足やで、葵……」
「お姉ちゃんに、ハァ、付いていける人なんてそういないって……!」
 葵は茜の顔を見上げて睨んだ。
 茜はソワソワとして、言う。
「いやでも早よ行かないと追いつかれるかも……」
「大丈夫だって……ふぅ、ああいうのは決まって動きは鈍いものなんだから」
 心臓の鼓動が落ち着きを見せ、葵は身体を持ち上げる。
「それより気になるのはやっぱり──」
 葵の言葉を遮るように、また周囲の照明が突然消えた。
「うわっ、また真っ暗になった!?」
 おどおどと辺りを見渡す茜に対し、葵は思考の海に沈む。
「そうそう、これこれ。この現象は一体何だろう? さっきはちょっと驚いてそれどころじゃなかったけど、もしかして魔法が使えないわけじゃなくて──」
 茜は口をあんぐりと開けた。
 後方──ドロリとした黒い液体が発生する。みるみる内に背が伸び、事務所で見た”何か”の様相へと変貌した。
「うわあああ! また出た!!」
「えっ、うわ本当だ、思ったより速い!」
 茜は”何か”に背を向ける。
「葵逃げるで!」
「うん、あっ、ちょっと待って────」
 葵は走りながら振り返り、左手を後ろに伸ばす。
「凍りつけ……!」
 魔力を流し込むと、”何か”の前方、地面から氷の柱が生え、波のように押し寄せる──!
「えっ、魔法使えるんか?」
葵は先に魔法の発動に失敗した時、魔力の流れそのものは阻害されている感覚はなかった。
 だから魔法そのものを完全に封じている訳じゃないと踏んだ予想は当たりだった。葵の詠唱を省略した氷魔法は問題なく発動したのだ。
「これで凍れば……!」
 これで後は”何か”を氷の中に捕えてしまえば、魔法学園の誰かに連絡を取れば解決だ。オカルトを魔法的に解明してやろうと意気込んでいる人は多い。きっと有意義に使ってくれる。
 ────しかし、常識が通用しないからこそオカルトである。
「──嘘ぉ!?」
 葵は目を疑った。生成した氷の波の向こう側から、何もない平坦な地を進むように前進してくる姿が、やがて氷の波を超えてこちら側にやって来る。
「凍らんやんけ! やっぱりアイツ幽霊か……!」
「物理的にじゃなくて、概念から攻めないと難しいか──お姉ちゃん、ちょっとだけ使うよ」
 葵は茜の返答を待たず、秘めた能力を解放する。髪色が銀世界に近づいていく。
「”銀世界の扉よ開け”────”生命も時間も動くモノである”」
 抑揚の弱い、低い声で詠唱を行った。簡易的な能力の解放だ。
 先程と同じような氷の波が生成される。
 色がより白に近い、綺麗な氷だった。
 それは”何か”を瞬く間に飲み込んだ。周囲で細かな氷が舞い、キラキラと月の光を反射する。
「今度こそどうや!?」
 茜はどうか凍っていてくれ、と懇願しながら行方を見守る。
「……ダメ、手応えなし」
 葵がそう呟くと、”何か”は先程と同じように、氷の中をすり抜けて見せた。
 ──逃ゲ、ナ デ
 二度目の”何か”の声に、茜は恐怖で背筋を震わせる。
 葵は冷たいくらい冷静な様子で、言う。
「もっと強くしないと無理みたい」
 茜は葵を見て、強く言う。
「絶対アカンで! こうなったら逃げるしかない!」
 葵の髪色が元に戻っていく。
 この力は制御を誤ると体内で暴走を始め、最終的に葵そのものを凍り付かせてしまう──それを知っている茜は、あまり葵にこの能力を使わせたがらない。
 葵自身も危険性は承知しているので、素直に頷く。
「了解、公園まで走ろう!」
 二人は”何か”に背を向け、全力で地を蹴った。
「…………」
 茜はふと、何か心に引っ掛かりを感じ、ちらりと後方を振り返る。
 遠目に見える”何か”は、身体をドロリと溶かし、液状に垂れて地面に落ち、影へと溶け込んでいく。
 ──そういえばアイツ、何でウチらを追いかけて来よるんやろ。
 茜は気になったが、まずは距離を取るため走ることに集中した。


 数分後、公園。
 葵はぜぇぜぇ、と苦しそうに息をしながら、公園の敷地内に入る。
 建物もない芝生の平原、豊富な街灯のおかげで視界は良好だ。例え”何か”の接近により街灯が消えたとしても、満月の明かりを全面に受けることができるここならば、最低限の情報は見えるだろう。
「ちょ、むり……!」
 葵は足を止め、息を荒げる。
「大丈夫か、葵?」
茜は葵の背中を撫でる。
「はぁ、ぜぇ、大丈夫じゃ、ない……!」
「ごめんて」
 だからペースが速すぎる、そんなに急ぐ必要もないだろうと怒る体力さえ残っていなかった。
 茜は走ってきた方角を注視する。
「アイツは……まだ見えんな。隠れる?」
「……」
 葵は『ちょっと待って』と挙手して、息を整える。
「…………ふぅ、取り敢えず、死角になりそうなところに隠れよう」
「死角と言っても、あるか……?」
 茜は公園を見渡す。
 広がる平原には噴水のオブジェクトとベンチが点在している。
 右側には並木道。平原との境界は木の生い茂っている幅が広く、隠れんぼでの定番スポットになっている。 
 もちろん並木道自体は流れ方向に視界がとても開けているので、隠れる場所はない。
「噴水の水中に潜ってみるとか?」
「風邪は引きたくないなぁ……」
 寒冷期ではないが、さすがに夜中の外は少々冷える。
「じゃあ……木の陰?」
 茜は並木を指さす。
「あそこくらいしか目ぼしい隠れ場所ないで……暗いからリスクあるけどな」
「今は街灯の明かりが入り込んでるから向こう側もなんとか見えるくらいだけど、確かに消えた後は真っ暗になるかもね」
 葵も公園内を観察して考え込むが、他に妙案などは出てこなかった。
「じゃあ、適当に木の中に混じって隠れよう。何か、思ってたより隠れ場所なかったな」
「でも怖ないか? 近づいてるのに気付かないかも……」
 二人は並木へ小走りで向かいながら話す。
「走ってきた方角にちゃんと気を付けていれば大丈夫だよ。明かりも消えるし、事務所の室内とそう変わらないくらいでしょ」
「まあ、それは確かに……」
 二人は木の隙間に入っていく。気温が少し落ちた気がした。
 地面は土がむき出しで、少し柔らかい。
 大人の肩幅を少し超える程度の間隔で木々が三次元的配列で生えている。これならば360度どの方角からでも身を隠せるだろう。
「真ん中あたり……この辺かな?」
「もしバレたら逃げ遅れることのないように気を付けな……」
 二人は隣り合った木に身を隠し、公園の入り口方向の様子を伺う。
 ひゅるひゅると弱い風が、木の葉をぱさぱさと揺らす。
 自然的な音以外は全くといって起こらない、静かな夜。
 寒さか、緊張か。茜は全身に鳥肌が立つ感覚に襲われる。
 もういっそ、朝までこのまま穏便に過ぎてほしいとさえ思う。
「…………消えた」
 しかし、そんな願いは照明の明かりと共に消え去った。
 豊富な明かりがあっただけに、いくら満月の光が真っすぐ届くからとはいえ、暗いと感じる。
 二人はそんなことは微塵も気にしていなかった。意識にあるのは、”何か”がこちらに気づくかどうか、である。
 会話したい欲を抑え、口を噤んでじぃ、と注視する。
 来ない、まだ来ない。
「…………?」
 さすがに気になってきた葵は、茜へと顔を向け、
「全然来ない……──っ!?」
 心臓が飛び出るような感触。
 左方向から茜に向かって手を伸ばす”何か”の姿が──!
「お姉ちゃん左!!」
 葵は重心を下げながら、叫んだ。
 茜の動きは最適だった。左を見ずに葵の懐向かって飛び込み、すぐさま距離を取る。
「うおっ!? 本当や、全然気付かんかった!」
 二人は並木を抜け、開けた芝生地帯へと脱出、全力で走る。
「やっぱり隠れてもバレとるってこれ!」
「じゃあ視覚で私たちを追いかけてる訳じゃないね!」
茜は吐き捨てる。
「ならどうやってウチらの場所把握しとんねん!」
「知らないよ、どうせオカルトめいた謎のちか──あっ、指輪!」
 葵は閃いた。
「指輪だよ、それを頼りにしてるんじゃない?」
「指輪?」
 茜はポケットに手を突っ込み、指輪を手の平に載せる。
「でもこれウチの手元に返って来るやん……」
「今は少しでも情報が必要だし、適当にその辺に投げてみてよ」
 茜は眉を潜めながらも後ろを振り返り”何か”と距離が取れていることを確認して、
「──よっ!」
 向かって右方向へ指輪を投げた。
「……どう?」
 二人は”何か”の動きを観察する。
 すると。
「──あ! 指輪の方行った!」
間違いなく、二人へと向かっていた動きが変わった。
 立ち止まり、様子を伺う。
 ”何か”は指輪の元に辿り着くと、ゆっくり、両腕をまるで人を抱くかのように空間を包み込む。まるで、人を抱きしめるかのように見える。
 当然、そこには何もない。
「…………」
 茜は何かが引っ掛かる。
 自分たちはアレから逃げている。なぜ?
「なあ葵、アイツ、ウチらを襲って来たんと違うんちゃうか?」
「え、じゃあ何しに来たっていうの?」
 茜は考え込む。そういえば、先程も『どうして追いかけてくるのか?』と気になった。
 ”何か”を観察する。抱きしめようとした空間で腕をふわふわさせていた。
「────!!」
 突如、”何か”から文字にならない音を響かせる。
「うわっ!」
 葵は驚いて声を漏らした。怒らせたか、と警戒を高める。
 ──その時、茜の頭の中でバラバラに浮遊していたパーツがかっちりと組み合わさる。
「……あ」
「ど、どうしたの?」
 葵が振り向くと、茜は決意を覗かせる気を引き締めた表情で”何か”を見据えていた。
「葵、分かったで。ちょっと行ってくる」
 茜は堂々とした足取りで歩き出す。
「え!? ちょ、ちょっとお姉ちゃん! 危ないよ!」
 葵は静止の声を掛けるが、茜は止まらない。
「大丈夫やって、心配せずにそこで見とき」
 葵は面食らい、警戒はしつつも見守ることにした。好奇心から前のめりになることは多くとも、このような事は記憶になかったからだ。葵は茜の直感を信頼することにした。
 茜は”何か”の近くまで進み、立ち止まる。
「……なあ、聞こえるか?」
 ”何か”に声を掛けると、動きを止めて、茜に振り向く。
 茜は左手を前に差し出し、優しい声音で、言う。
「ごめんな、ウチはアンタが探してる人じゃないんや」
 ──そうか、アレは誰かを探していて、それをウチやと勘違いしていた。
 ──あの指輪を頼りに、きっと、本来の持ち主を探していた。
 ”何か”はしばらく固まったと思ったら、左手を茜の手へと向かわせて──
 触れ合うと同時に、茜の脳内に誰かの記憶が流れ込んでくる────

 それは、幸せそうな生活だった。
 冴えないが優しそうな夫に、美人の妻。二人の住む家はボロっちい。
 二人は決して不自由なく生活できてはいなかった。貯蓄も少ない。それでも、彼/彼女と共に過ごす時間は何物にも代えられなかった。
 歯車のかみ合わせが狂い始めたのは、とある男の登場だ。彼は妻に惚れ込んだ。既に夫が居ることを知りながら、妻に何度も声を掛ける。彼は裕福だった。
 お金に困る状況になったこともタイミングが悪かったのだろう。妻の気持ちは揺れた。
 そして時は来た。妻の裏切り、夫の死。
「──ぇ」
 ──そんな、もしかして。
 妻はその男と結ばれる。豪邸に住み、お金に不自由などない、求めていた生活。
 そのままならそれでよかったんだ。でも、時間が経つにつれ、妻は自分の心に傷をつけ始めた。自分はなんてことをした、と。
 ──もしかしてアンタは……。
 このまま放っておいたら、いつか自殺でもしてしまうのではないかと怖くなったんだ。だから僕が声を掛けてあげないと。
 ──許したんか、そんで。
 でも無条件で許しても、妻は納得しないだろう。だから罰として、少し驚かせてやろうとしたんだ。そうしたら、僕が思っていた以上に怖がらせてしまって……。
 ──しかも今度は自分に非があるとそんな姿になってまで。
 うん、謝りに来たんだ、驚かせてゴメン、と。どうしてか、今日、結婚記念日にしか姿を見せることが出来なくて、ここまで待たせてしまったのだけれど。
 妻には幸せに生きてほしい。この過ちを何時までも引きずらないで欲しいんだ。

「あ、アンタって人は……!」
 茜は震える声で言った。
 ”何か”の溶けだしているような姿が変わっていき、一人の男性に見えるシルエットになる。
消えていた街灯が一斉に灯る。
「ありがとう、僕のために泣いてくれて」
 茜の瞳からはボロボロと涙がこぼれていた。
「どうして、許してあげるんや……? 殺されたんやろ?」
 真っ黒で表情なんて見えないはずなのに、男ははにかむ。
「う~ん、お金に困らせちゃったのも元はと言えば僕が悪いし……」
「そんなんおかしいやろ!? 優しすぎるで……」
「でも僕が呪ったとして、皆不幸になってしまうじゃないか。それならちゃんとこの件について反省して、前に進んで欲しいんだ」
 茜は絶句する。本当に人なのだろうか? いや、今は幽霊なのだが……。
「何はともあれ、ありがとう。ちょっと制御できずに姿も変になっちゃってたけど、今ならこうして話すことができる。────おーい! そこに居るんだろ?」
 男は公園の入り口を振り返り、声を掛けた。
「…………」
 すると、一人の女性が姿を見せる。
「もしかして、あの人が?」
「うん、僕の元妻。綺麗でしょ?」
 惚気か、と茜は苦笑する。
「ま、後は二人の問題やな。ウチらは帰るわ」
「……本当にありがとう、僕たちを会わせてくれて」
「……お人よしにもほどがあるで、アンタ」
「多分君もそう変わらないだろう?」
 茜は無視した。
「葵、帰るで~。もうこれで終わりや」
 葵は全く理解が追いついていなかった。
「え、え? どういうこと?」
「まあ、一旦ここを離れよ。その後に説明するわ」
 二人は公園の入り口──女が居た方角へと帰る。
 すると、女は綺麗に着飾った走りづらそうな姿にもかかわらず、全力で男の元へと駆けていく。
 すれ違い様、茜と葵は女の顔を見た。
「……あんな顔じゃ美人かどうかも分からへんわ」
 女の叫び声、男の包み込むような優しい声を背に、二人は事務所へと歩く。

  △△△

 こうして、琴葉探偵事務所に降りかかった恐ろしい体験は終わった。
 あの後、件の女が事務所へと謝罪しに来た。どうやら一年前の同じ日に男が出てきたようで、幽霊か何かに呪われたのだと思ったらしい。調べていくと指輪に問題があることを知り、それを当日に探偵事務所へなすりつけたのだとか。
 茜が怒った様子で「これからどうするのか」と尋ねると、これからは罪を償うために慈善活動に励みます、らしい。
 男は女と話して満足できたのか、姿を消したという。きっと天に還ったのだろう。もしかすると彼の事だ、まだ女を見守っているかもしれないが。
 そして、茜と葵はといえば。
「……いや、もう少しちゃんと説明してくださいよ、そんな内容じゃ誰も納得してくれません」
「嘘でもでっち上げでもなく、これが真実なんですよ……私もまだ半信半疑ですけど」
 翌日、ロイドボイス警察。
 照明が突然消えるという現象がロイドボイスの町内で発生し、その時に二人の目撃情報が警察に寄せられたことで、二人は朝イチ、巡査の結月ゆかりに呼び出されていた。
 朝の早い時間に叩き起こされたことで、二人の寝起きは最悪である。
「突然明かりが消えた、魔法で光源も確保できない、そんな事件を『幽霊のせい』で片付くわけないじゃないですか!」
「ゆかりさん、本当やで。ウチらは幽霊に追いかけられてたんや。だから事務所から公園へ線を引いた箇所でこの現象が起こってる」
 ゆかりは頭を抱える。
「いや、こんなのでどうやって上司を納得させればいいんですか……! こんなのまるで真相分からないから苦し紛れに捻りだした報告と思われちゃいますよ」
「知らんがな……」
「この女性にお話を聴けたら話は違うんですけどね」
 葵は肩をすくめる。
「本当に何も知らないですよ、その幽霊に二人で話したいから帰ってほしいと頼まれちゃいましたから」
「せめてこう、顔とか、どのあたりに住んでいるとか、些細な情報でもいいので……」
「全く、ありません」
 ゆかりはがくりと肩を落とす。
「……ん?」
 茜は壁に掛けられた時計を見る。午前十時。
 ──何かあったような。
 葵は時計を見て、席を立とうと腰を上げる。
「あっ! もうこんな時間だ、今日は依頼があるのでもう帰らないと」
「嘘ですね、葵さんなら私が事務所に居た時にそれを伝えているはずです」
「……チッ」
 葵は再び座り直す。
「依頼? 依頼……」
 茜は同じ言葉を何度も呟く。
 葵が疑問に思ってどうしたのかと声を掛けるために口を開いた瞬間、
「あああぁぁぁ!!」
 茜はがたりと立ち上がった。
 葵とゆかりはびくりと震える。
「えっ何ですか!?」
 茜は葵を見降ろし、乾いた笑みを浮かべて、言う。
「あ、葵……今日の十時にお客さん来るんやった……」
「────え?」
 サーッ、と血の気が引いていく。
 これほどまでに恐ろしいことがあるだろうか。
「何で言ってくれなかったの!? せっかく残件整理してたのに!!」
「昨日貰ったばっかりの依頼なんや、指輪を失くした、て話と幽霊が来たから話す機会失くしてた、ほんまにゴメン!!」
 葵は思い出す。確かに夜中、茜が帰って来た際に──
 ──ただいま~、ごめん遅なったわ、でも依頼貰ってきたで。
 言っていた。確かに。葵は一瞬俯いて、すぐに立ち上がる。
「私も忘れてたしお互い様! すぐ戻ろう!」
 二人は立ち上がり、ゆかりに言う。
「すいませんゆかりさん! というわけで戻ります!」
「えっ、待ってくださいよ! まだ話は──!!」
 二人は急いで部屋を飛び出す。
「すまんゆかりさん、今度ご飯奢るわ!」
「待てーー! せめて一人は残って下さい!!」
 警察署内を、二人は慌ただしく駆けて行った。
 


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