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対立する狭間に有るべき物

2021/03/04 08:19 投稿

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  • マスコミ
  • 紛争解決

異相は、深刻さはある。

結論で言えば、「紛争解決機構」の必要性と期待、という奴だが。それがこの対立をも中和するか解消しているのか?は、まだちょっと未知数、だ。事態の打開として、可能性は見えても今も、微妙に不安感が残る、そんな状況ではある。

「マスコミ」と「創作者」それは、相変わらず、対立はしている。


「マスコミ」は、しかし”期待される仕事”をしてる限りは必需に近い産業?ではある。
人の「知りたい」を代行してくれる訳で、その情報が事実であれば?それは行動に対する重大な選択、その一つとして意味を持つ。つまり?ここには確実な需要、利益性がある、訳だ。

対して、「創作」その不安定さは、それからしたら忌避される”何か”でさえ有る。

最大の問題は、「価値感は個々に違う」事だ。Aにとって面白いは、もちろんBにとっても?である事はほぼ、稀だ。この時、同意を得る努力はしかし、途中で困難を迎える、相手の意向も同じ様なパワーで左を指向する意向に対して「私は右の方が良い」それを言うのだった。

”これ”は対立を始め、喧噪の末に、或いは対消滅するなりして、損害だけ残して消えてしまう、場合が多い。

もちろん、これではお金になど、ならない。
「面白いか?」と言うと、第三者にはカルトの説法以上に無意味だ。
本人らにしたら命懸けでさえあるそれは、単なる徒労として消えていく、それを見ていてマスコミは思う。

馬鹿なの?

そしてその時、人々の同意は多く、マスコミ側に有るのだった。


創作者としては、”この”事例を前にして、本来は衝突前に止まらねばならない、訳だが。それでは逆に、「マスコミ」その必需に届かない、訳だ、同意の半分にも満たない。”彼ら”が面白い、価値のある情報、という理解をしないと?取材も無い訳で、それはそれ以上にも成らない。それを必要だ、と思う限りは、この時、マスコミへ向くのは憎悪には成る。或いは、何かの無茶だ。

「マスコミの半分にも満たない必要性への同意」に対して、換金する術を見出さないと?それは対抗と言うかには、成らない。この時?今の所、最もパワフルなのが「働いてます」仕事です、その状態で。そう言う状態をその場に創る事で、創作は利益性を持つ事が出来、マスコミの否定に対抗し得る、訳だが。

”それ”は何とか成りつつある、しかし。その前に発生した”致命的な断絶”があって、それは今も、断絶のまま、かもしれない…それが微妙に、見えにくい懸念としてか、不安の原理には有る。

マスコミはマスコミで、理解する必要はある、「創作が利益性を持てないと、経済も回復しない」のだ。その時?マスコミの否定的な視点、それは創作に対して、重いダメージに成る。言って良いのは「戦争は良くない」その位、だ。マスコミが「自由は大事なんです」それは、言ってはいけない。その先に戦争も有るのだ、それを煽ってしまう、それは重い罪として有る。

発生した致命的な断絶を前に、「紛争解決機構」それは今も、微妙に中和、仲裁、沈静化させていない感覚は、ある。「どっちが?」と言えば、マスコミが悪い、そう言うしかし、それは自身のスタンスとしての意見かもしれない。思想的にも断罪出来ない、最後は「大賀さん」で決まる。

その決着に対して、ミャンマーの現状とは、果たして。







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