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豚の絵が飾ってある

2021/01/19 08:30 投稿

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  • 写生
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良くも悪くも、管理側ではある。

その時、不意に「選ばれたのは?」その理由が、少し解っては来る。

とある、絵がある。
「豚の絵」だ、小学生とかの、写生大会での、それ。
母豚の周りで、子豚らが乳を吸っている、と言う構図。

誰かが言った。
「豚だな」
誰かが頷いた。
「豚だ」
隣の人も納得した。
「豚ですねぇ」

それはその選抜側が結構執着しても?それは単なる「豚を描いた」絵でしか無かった。

「それ以外じゃない」のだ、選ぶ側が、何処まで追求しても、だ。描いた存在もまた、そこにそれ以上の感情?意味、そう言うのを持ってない。ただ、そこに有った豚を描いただけ。

つまり、この絵は豚の絵である、ここに、”頂点の共有認識が存在する”訳だ。他の絵は、”誰か”に対する評だったり、或いは何処かのキャラの模写だったり、そう言うのは多いが?その絵はその場の誰が見ても、単なる豚の絵だった。

実は、この絵には凶悪と言って良い程の、不動な共有認識がある、訳だ。


そして、”これ”を模写した絵が?こうであってはならない、訳だ。

それは、正確な描写では無い、結構深刻な「蛇足」である。こう描いた時点で、その人はガンダムを描いてと依頼したらドラグナーを描く、”そう言うタイプ”なのだ。それは、使えない。

「芸術」その、基本スキルが、実は”これ”である、それをそれとしてそのまま描く。
大人になると、自分でさえ、絵に違う意味を見出さんとしてしまうが、それは蛇足だ。
その先は、まず、”そこ”を安定させた上でしか得られないのだ、意味が無い。
ドラグナーに対してガンダムの欠点を指摘しても意味が無い、それは「違う世界」だ。
まず、ガンダムを正確に描写、”理解”した上で、その先の要求?それはある。

絵師の責任?として、その絵は「豚を描いた」のだ。
それはもちろん、今も、不動ではある。


小学生の頃の話、だ。
その時に、誰かに教えを受けた訳でも、本人に何か特異が有った訳でも無い。
既にその時点で、意識的には何故か、それはそこで固定されていた訳で。
「それが、王の権威だった」訳だ。”この”絵を笑ったいくつかはこの時、ほぼ致命的な喪失を起こした、そう言う事だったかもしれない。

既に当時、昭和天皇も相応に、高齢ではある。
次に対して世襲が世論的に難しい時、「誰か?」それは求められる、その時。
個人的には、騙された、と言うべきかもしれない、風潮もあった、このままでは世界が危ない。誰か何とか。

現状、良い帰結では無い、今もまだ、「マスコミ」発言に責任を持たずプライバシーの侵害に抵抗が無くデマの流布に否定感が無い、”それ”の脅威は続いているのだ。「いらない」それは言って良い、言う事に成る状況には近づいている、気もする。”雅”市場その規約にはいわゆる「マスコミ」が居ない、それは”単なる罪人”である。それでも、それが無かった時代は未だかつて、無い。

それは、良い世界なのか?
「戦争が出来る」現実には被害を出さない、そんな世界で、マスコミは必要性を失いつつある。
ただ、売春婦も、だ。

道理、だろうか。

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