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クリスマス後にある悲痛の行方

2020/12/27 08:35 投稿

  • タグ:
  • 紛争解決
  • カウンタ制御

元凶、ではある。

隠せないストレス、と言うのも有る。

現在の状況で、その換金性を阻害する最大の要因が「大賀さんの決定に逆らう」そこではある訳だ。その時点で、”そこ”に有る全てが「大賀さん」の反逆者となり、価値を失う事に成る。良くも悪くもインターネットの時代、通信対戦と言うモノの、そしてアクセスカウントと言うモノの存在が、このマイナスのパワーを異様に強めてしまったか。

他者に対して阻害し得る、その物理的な平等性を損なう時、”そこ”には「価値の起点が失われる」訳だ。

ゲームを遊んでいて不意に発生する場合がある、キー入力の不信、その存在ではある。平等で公平その起点が成り立たなくなる、些細な邪がその環境全体を安直に崩壊させ得る、その象徴的な、しかし見えにくい脅威かもしれない。

IFとして安心し得る環境、と言うのは、今の所マウスとキーボード位しか無い、と言うのも何だか微妙な感覚だ。”そこ”は何故、今も一応は安定した応答をしてくれてるのか、現状では、その理由は不明…だ。それを言い出せばコンピュータその物が、何だか信頼に足る物では無くなっていく…自分が足場というか?意識の起点にしていた物がこうも脆弱、と言うのも、何というか、切ない現実ではあって。

そしてその上で、感じる意識だ。

それは「売れなくて当然だ」が。

それは、現状に介在するその邪な意識は、そうは思わない訳だ?

「カウンタ制御」その根幹にある物の、そのゴミっぷりに、ちょっとストレスは思う。今も尚、「宗教家」「漫画家」「新聞記者」この凶悪な廃棄物は存在する、と言うそこに、耐え難い何かを思ったりもする、が。漫画が売れないのは、面白くないから、だ。答えはシンプルだ、そこに対して、それらは挑む訳だ。

ゴミかな?

「大賀さんが有る」と言う前提で、自分も暴言に近い事を言ってはいる訳だが。昔は、”ここ”がちょっと暴走すると、それで悲痛が有り、戦争が起こった。「ガンダム」と言う紛争解決機構、それが誕生し、それが何とか抑止に成功する事で昭和の黄金期は有るが、サイコロを起点にする結果か、そこには多少の混沌は残り、コンピュータが発展するに伴いか、或いは戦時中からも、”それ”は期待される結果を出せているとは言えない訳だ。そして、可能性的には通信対戦を用いる「紛争解決機構」には、それを超える性能がある、問題ない結果を出しうる、しかし。

表の環境には今も、信用し得るそう言う環境は、無い。

今の「大賀さん」それは何処に有るのか?

「書かないと解らない」それはあるが。


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