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結果と現実を見る個性

2020/10/16 07:07 投稿

  • タグ:
  • 紛争解決
  • ユダヤ教

人間には個性が有る。

物理的に言っても、自分と”同じ”存在を他人と認識は出来ない、自分の意思と同期して動いてる腕を「他人の腕だ」と思う事は、まず無い。或いは”意識”のセンターが何処に有るか?と言う問題だけだ、考えてるのは「腕」かもしれないが、統制的には脳に集中してる事には成っている。

その脳にしろ、シナプスと言う微細な細胞の寄り合い所帯でしかない。

ともかく「自分」と言う”個性”に同期する全てが認識としては「自分」であり、それ以外、と言うのが物理的にも視認的にも存在する時、「自分以外が居る」それはつまり、「個性が有る」自分とは異なると認識できる、或いは同等な存在が居る、と言う意味ではある。人間には個性が有り、そこには差が有る。テレビに出ていても、話題の中心にならん?「そう言うのは御免被る」人は居る。

使えない存在である事は許容出来ないが。

慣れてしまった、と言うのも有るが、自分もそう言うのは、避けられるなら避けたいタイプ、ではある。自分の創った作品が低く評価されるそれは許容し得ないが、その為に自分がタレントをせねばならない?と言うのは…出来れば避けたい感じ、「見て欲しいのは作品だけ」だ。目的を目指し前に立つ存在が居るなら支援する、と言う感じは、とは言え…悉く裏切られ続けた経緯もあるが。昭和天皇もそうであった様な、昭和を生きたか、その人々には、そう言うタイプは相応居るだろう。

現場には現場のプライドはあるのだ。

この感覚にも、昔からか衝突する何かはあったが、それも或いはユダヤ教的倫理観だった?と言う現状には、少し溜息の出る状況はある。「親は悪く言えない」と言う、当然のそれは有ったかもしれない。「バベルの塔は創る必要は無い」それは正論としても重くある。

バベルの塔は、もしかして崩壊したのだろうか?

何か、残っているのだろうか。



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