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理想論と創作の見ている物

2020/09/12 07:25 投稿

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問題はお金ではある。

現在の、効率化の先に有る雇用の喪失は、重大な問題として暗雲の中だ。今までは一人で100個造るのが精々だった物が、技術革新で1000個創れる、としても。市場が10000個しか許容しない(そこまでしか市場規模が無い)のなら?貴方は他9人の仕事を奪った事にしかならない。あらゆる分野で発生するこの「効率化の結果としての失業者」を、打開する術は何?と言う話は今も、明確さは無く、議題でさえ無い。

従来の経済学にも、多分答えは無いのだ、リストラは否定されていない。


皮肉、と言うべきだろうか。「農協」と言う形態は、この時、一つの答えは見せる。創った作物は全部買い取る時、雇用は守られる。農協に出荷する農家は、クオリティコントロールを受けない結果で重いストレスには苛まれない。牧歌的でさえある、昔ながらの方法論で、愚直に働く事が逆に求められ、それがそうで有る時、そこに人手は必要で、そこに雇用は存在する。

農作物が期待される価格で売れれば、だ。

同じ価格なら、例え傷や恰好の問題、品質には殆ど差が無くても、歪よりも整った方を買ってしまう。更に画一化した栽培をしない時、その品質にさえばらつきは発生する。農協はこの点で、どうしても他の市場に対して低品質と言う印象はぬぐえず、従来の感覚では市場での評価は、どうしても低くは成る。この結果、農協に出荷する農家は経営が成り立たなくなる訳だが。ここで簡単な打開だ、農家を守るなら、農協の商品は、高く買えば良いのだ。

なんで?

昭和と平成と、ここには大きな溝が有る。昭和の頃、”それ”は「天皇陛下のお言葉」に成る訳だ。それは道理で有り正義であって、それを果たしてこそ国に対して貢献する、”それ”はある。昔は、役職さえ栄誉を求め、競って名乗りを上げたが今は、成り手が居ない現実その理由、多分その一つではある。現状、「誉」その起点が無い。昭和天皇の死後、良くも悪くも期待される価値観?は、消えてしまった。

農協の商品は高く買わねばならないのだ、国を護る為には!

流石に、昭和天皇の意向とは言え、理由が個人的な価値観であるそれはまあ、否めない。

「大衆は神である」その理念の原理として、「神は絶対であり正義である」その決定に間違いはないし、その理解に主観は無い、と言う感覚はあり、なら。正義であれば、神は理解し許容する、のでは無いか?ともかく、効率化の結果で雇用が喪失される時、過剰な効率、或いはクオリティへの追及はむしろ逆効果だ。正に農協の様に、適当な品質で良い、その方が雇用は創出される。高いクオリティを追及するより、「そこで我慢する」その方が求められる、雇用を維持する、と言う観点では、だ。「我々はそう言う社会を目指しているのだ」そうで無ければ、世界は切り捨てが発生してしまう。

農協の意識の問題、だろうか。単にルーチンワークを繰り返すだけのロボットであるなら、それは機械に置き換えた方が良い。そう言う意識で維持するのなら、それは、大衆と言う神は受け入れねばならないのでは。

とは言え、オードリー・ヘップバーンに農業を強要する、様な真似も愚行である事は、間違いなく。主観の台頭は、他の主観との衝突を招き、最後は戦争へ発展していく、その時、どうするか。

「自由意思を認める」と言う、そこに有る面倒さではある。


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