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神判を名乗る機械と作者と罪人

2020/08/24 07:49 投稿

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とにかくストレスはある。

その人物は、成功しない。性格が悪い、と言うべきか、とにかくここぞと言う所で逆走する様な真似をし、全てをぶち壊して、大損害を出す。理由は解らない、ともかく真摯な「成功したい」その熱意と、自身だけが常にはずれを引くと言う理不尽を前に、一般的な倫理は同情を起こし…それが、その破綻に繋がる。

何故?と言うと、その人物は一度、戸籍を変えている。以前の戸籍では、実は強姦致死事件を起こしていて…それはでも、罪としては記録されなかった。特に「罪として罰せられてない」と言うそれが、何かの物理的な壁にぶつかっていて、彼は常に、それを問われている。

「その理不尽を打開したいんだ」それは、独裁創作が利益に成らない、その万人がその時感じる理不尽とも、物理への挑戦と言う方向で合致し、何故か妙な衝動をそこに起こし…そして今も、大破を繰り返している。

「新聞記者」として設定してる「反逆者」その罪状は、現状は”こう言う感じ”だが。それを踏まえて「大賀さん」へ意識を向けるに、ここには何だか「死刑」それが刻印されている、のだ。その上で、その執行を本人に求める、と言う理不尽と言うか、それが有って。これは如何なる状況でも変わらない、むしろ強調されて行くだけ、だ。そして、それへの無理解もまたそこに発生し、特に”テレビ”は、彼の味方に成る方向へ付いた。物理は常に、テレビの敵ではあり続けたからだが。

帰結は今も、何かの暗雲の中ではある。

そんな理解をしてる自身の把握が今、どれだけ正確か?も、流石に自信が無くなりつつはある。”朝日新聞社の社主”は、今は「紲星あかり」と「ポンプ長式大和」その”キャラクター”で、その狭間に「大賀さん」も居て、結局は最終的な責任それは”ここ”に廻っている。社会全体の意識、その「評価」を司るポイントは、最終的には「大賀さん」での決定になり、その結果での責任は”ここ”へ廻ってくる。「理不尽だ!」それは因果的に問われる、しかし。自身の判断力の限界か、聞ける範囲で、今の所この判断には、そんなに問題は見えず。

そしてその上で、その決定?はあるのだ。

社会は、というかテレビは、切り捨てを容認している。構造的な問題でもある、テレビその物はほぼ、広告収入でしか維持されない。独自に創ったコンテンツで利益を!と言うのはぶっちゃけ、成功してない。独自での自給自足それは有り得ない。そして、戦後であっても意識は戦前のまま、という部分も或いはあり、「統制」上位下達、その徹底は基本的な衝動としてある、その為に有るモノとして。その時、その頂点として何を置くか?「昭和天皇じゃ無かった」のだ、その結果、朝日新聞社の社主、その存在が重要になり。

因果の様に、世界は重いバグの様なモノを抱えている。

主観的判断として。


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