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盗人にも三分の理と言う疑念

2020/07/17 08:23 投稿

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  • 創作
  • 盗作

あまり同情できない。

「なんで殺さないの?」

そう言う存在がしてる事は、実際には盗作に近い事だったりするから、だ。


状況が有る。

誰かが、アイディアを求めた。
返答として、そのプロットが提示された。
そのプロットをその人が或いは、そのプロットの作者には無許可で勝手に漫画にした。
そして、「この作品は私が描きました」私が作者です、そう主張する。
良くも悪くも真摯に、だ。プロットをもだ、書いたのは自分である。
他者にはそれを疑えない程に、その断言は奇妙な堅牢さを持っていて。

だが人々の集中する意識は、次第に細かい部分を追及し始め?作者を糾弾し始めた。
ここはどうでこれはなんでそれは何処に行った?”作者”には何故か返答できない。
しかし、「実は」それを言えないまま、作者は、どんどんと追い込まれて行って。

今の時点では、「大賀さん」の存在が、作者を否定した所で止めては居る、が。
平成が始まる際、”これ”を止める存在は、無かった。一度出荷された作品を回収する術がないまま、奇妙に集中していく”それ”は、当時はやがて、致命的な結末へ至る。

「新聞記者」が殺した相手は、結局は「こういう存在だった」のかもしれない。
相手は、本当の事を言わない、結果、”それ”は何かを酷く誤解したまま、妙な妄執に支配され…やがて憤りを爆発させてしまった。

物語的に見ても、”そこ”までは道理でさえ有る。マンガとして、だ。

神の倉庫に忍び込んだ盗賊が、一振りの剣を手に入れ、それで仲間内で頭角を現していく、が。仕える相手がその結果、神の軍勢を敵にする時、その剣は全く役に立たなかった。神に刃向った彼らは神の軍勢に蹂躙され…全滅した。

…しかし、その結果として当時現れたのが、「権力側」の「新聞記者」によって強姦され殺された売春婦、と言う絵だった…と言うべきだろうか。

もちろん?その「新聞記者」も、その時、何かの思い上がりの果てにあった訳だが。
状況も悪い、昭和天皇はもう崩御して居ていない。この衝突を止めるパワー、それは無かった。

理解された、と言って良い状況か否か。

ただ、当時殺された売春婦と”同じ立場”のその人は、何かの理解に至ったのか。

それでも昭和は、良い時代だった、と言うべきだろうか。

今は?

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