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エロ漫画家の家に遊びに来るJKその可能性について

2020/07/11 15:47 投稿

  • タグ:
  • マンガ
  • 創作
  • 飯塚幸三

ある程度行けば、誰でも感じる話。

「漫画で打開しても、”それ”は現実には成らない」

この時、利益を期待しなければ、この先の創作意欲、”それ”は消える。


エロ漫画で、多少は汎用性のある描き方の一つ、だ。

「男女がなんか問題を抱えつつ、エロい事をしてるウチに”それ”は打開された」

マンガのネタが無い、とか、良く遊びに来るJKにそれを話すと良し脱衣ゲームやろう、と言う話になり、対戦ゲームで勝ったら一枚、とかあっという間に脱がしてJKとエロい事をしました、と言う漫画を描いたらウケたので来月の家賃払えそうです、とか。

この時何が起きたか?と言うと、現場のカップルのエロい事を異世界の読者に「見せる」事により、対価としての打開を期待した、訳だ「向こうの人々」は。エンディングの「良い結果」が対価である。作家側は”それ”が換金され良かった、向こうも”同じ事”が発生して良かった、WINWINである。異世界理論の理屈は”こういう事だ”が。

問題が「業界から締め出されたのだけど」とかに成った時、それで何とかなるのか?と言うと、そこには大いなる疑問はある。問題は「それは無理」と言うモノで有れば何でも良い。安直な「良い結果」は直ぐに考え付いても、”それ”が現実に成るかどうか?は解らない。「ウケた」場合は具現化する場合があっても、前出の漫画家に、そのカモネギなJKは居るのか?と言うと、かなり切ない話にはなる。

”自分に”その描いた運命がフィードバックする保証、それは何処にも無い訳だ。

世の中はギブ&テイクで成り立っている、のだ、それを何処まで信用するか?
そして、「私は信じている」と言う、その人の現状は果たしてどうなのか、同意は今も、安直には求めようがない。

飯塚幸三氏が事件を起こしてから、もう一年が経過した、が。彼は今もまだ、罪に問われもせず自宅で普通に暮らしている、らしい。「新聞記者」の話も思い出される、そう言う事例、理不尽、その打開を漫画に込めても、”それ”がそうである理由、それは想像を超えて複雑怪奇に、しかし或いは人々の希望、「現状維持」その結果として有って。

もちろんその結果として新型コロナウイルスに豪雨災害が発生してるとしても、民主主義だ、誰かの責任じゃないのだ。

作家は政治家でも、宗教家でも、運動家でも、まして、テロリストでも無い。

その上で、何が。


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