自身の主張、その正当化でしかないが。
「バベルの塔が破壊された時、”神”は果たして何処から最上階の王を見ていたか?」
何処から?と言えば、塔の最下層で或いはこき使われて働く労働者の子供か、そう言うポジションから、だ。その領域に取って必要な事、それは生活の安定その他でしかないが、この塔の建設とは”それ”に意味があるのか?王は有ると言っている、しかし。
その疑念がピークに至る時、神の裁きは雷と成って、塔を破壊した訳で。
Aviutlに問われている、或いは”その世界”が問われているのはこの辺ではある。それを作る事で、その「神の世界」その環境は改善するのか?
「する筈無いだろう」
このツールの作者にしろ、”その”断言は揺るがないのだ。このツールの、ここに通じた環境の、その世界には救いが無い。努力の果てに有るのは、瓦礫となった自身の徒労の結果でしかない訳だ。
意味はある、「これはダメだ」その断言と共に。
どう直すべき、と言うよりも、「独裁創作は利益に成らない」その追及に対する理解の問題ではある。”この”ベクトルでは最後、神の雷と共に何もかも破壊される、のがオチでしかない。個人の理想、それを具現化すると言う事は、”神”にとっての理想をないがしろにする、そう言う意味ではある。それは罪だ、人間としては。
バベルの塔を完成させる必要があるなら、神の思惑、”それ”を無視する事は現実的じゃない。そしてその時、王の野心、理想、それは最終的には拒絶され、神の思惑こそが前に有る。
思想の問題だ。
映画産業は、滅ぶべくして滅んだのだ。
意識せずしてか、「あげちうブロマガ読み上げ01R」は、Aviutlの「実際」を描いては居るのかもしれない。最後の一歩100円的な換金、それは結論で「有り得ない」のだ。歩けない人々も居る時、彼らはもう、死ぬしかないのか?
最後の最後で、何かを大きく間違っている。