対立が不意にある。
個人的にはもちろん、悪い企画とは考えてない。
「幽遊白書アナザーストーリーズ」創って良いですか?と言う流れが発生した時、必然として権利側に許諾を求めねばならない、が。
駄目。
その理由とは、果たして。
想定だろうか、妄想だろうか。
この場合の理由それは、
「企画原案にお金が流れるのなら、拒否します」
そう言う話だ。
この企画原案、オーダーを出した存在は、現場的にはこの位に「なんで居るの?」レベルの否定に有る。ストリードの連携はセーフティネットに成り得る!と言う時、これはちょっと困る、のだが、しかし感覚でも感情論でも、何だか同意も有り反論し難い。
”それ”が結論で、朝日新聞社に通じている、のだ。
それは、現場の、些細な抵抗ではある。
その、唾棄すべき存在に何かの成績を与えるのなら、その程度のはした金など捨てて良い。
とは言え、情報を知らない外部としては、「なんで?」それは暴力的な多数派、”それ”を形成してしまうので、そこはそこでストレスには成る。
しかも”それ”は、この種の自分らに気まずい情報を隠蔽し、握り潰す事も今まで(今ももちろん?)容易だったのだ、それにどれだけ煮え湯を飲まされてきたか、という現場は意外にも、結構有ったのかもしれず。ただ今それは、或いは「女帝」村山美知子氏の死去と共に、急激に何かの影響を失いつつある、と言う気はする。
だからだろうか、自分もまた、何かの微妙な同意と共に有る。
”ここ”の把握は果たして何処まで真実か、「お金が無い」それは、どれだけの重い窮地か。
それはもちろん今、お金には困っている。
以前は、恵んでやる側だったのだが。
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