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夢見た先が夢であるという現実

2020/04/14 06:35 投稿

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  • 芸術

それは、アートの完全否定、ではある。

利益性の面から、だ。物理的な話として。

独裁創作は、芸術は利益に成らない。

「そこを何とかしろと言ってるんだ」

その果てに、略奪或いは生贄、もしくは戦争があって。

そして今、その果てに、新型コロナウイルスの猛威が有る。


悦楽の瞬間は、ある。

「ここで歌っても良い?」その歌手は、ふらっと立ち寄った居酒屋で、店主に声を掛ける。「良いよ?」店主は応じて、歌手はその場で歌い始める。歌声はそこに響き渡り、そしてそれは結果として、歴史的な一夜となった。

的な。

現状の結果で言うと、”これ”はお金には成らない。
最初から最後まで、「良いよ?」その果てにある、一つの悦楽ではある。
何もかも許される先にある、人々が求めた、その絵、その未来。

技術も、志も、熱意も、或いは経験も、それには必要だったろうか。

「目指しているのはこれなんだ」

そう、実感する”その絵”は、でも、現実には成らない。


ある意味で”良い言い方”をすれば、「換金できる限度を超えているから」だ。
換金出来ないモノは、換金しない。単純な、或いはシステム的な返答。
悪い言い方?をすれば、独裁者の誕生は阻止せねばならない。
迂闊に換金したら、貧困層からも、生活を破綻させる程に吸い上げてしまう。
或いは今アメリカで起きている、ひよこの買い占め騒動の様な。

理想か?

制約の無い”同意”の果てに、或いは奈落はあり、それを抑止する為にか、今の現実はある。

「これで良い」のだけど。

何処か感じる不足感は、換金性に拘る時にある、何かの失望かもしれない。

”それ”を目指す結果、或いは”これ”を潰してしまう、もっと先へ。

それは無いのだ。

納得しないその部分こそが、今の邪悪だろうか。


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