あげちうのブロマガ

小さな箱の隅で一人

2020/03/10 07:34 投稿

  • タグ:
  • 創作
  • 平成

それは神様の視点、だ。

「創作で飯を食って行く為には、逆らえない奴は居るんだよ」

”それ”を受け入れ飼い犬に成るか、或いは反発、ロンリーウルフとなるか。
ともかく平成、どっちが正しかった?と言うと、金銭的な利益だけを言うなら実は後者である。

後者は、前者の創る物を略奪して飯を食っていた、相手がどうなろうと、だ。前者はそんな状況に反発出来ないまま、ただひたすらに、彼ら野生動物らに荒らされるを耐えつつ、作物を細々と創り続けていた。

最近やっとか、状況は少し変化、後者は苦境に陥りつつあり、多くが前者側へと掌返しをしたのだが。確かにその中で、かなり初期かにブランドを得てしまった人々は、積み上げた加害性と共に、何かの破綻状態にはある。

のかもしれない。

神様の視点では、前者も後者も今、”同じ様な存在”だ。しかし現場レベルでは、前者は後者のその濃い人々を許せない、感情論だ。前者から、盗み侮蔑し否定し蹴落として、彼らは前にいたのだが。勿論その結果、「売れる為」に、必要な物をどんどん削ってしまって、状況が変わった今、殆どゴミと化してる、前者の期待通りに、だ。

アリとキリギリス、と言う状態じゃないのだ。アリとアリクイ位の境目はある。変な話、アリクイとして固定してしまった”それ”は、アリに取っては単なる脅威でしかない。因果と言うべきだろうか。カンガルーやクジャクでさえ害獣として駆除されるのだ、アリクイもその時は、その対象でしかない。

勿論これは、”アリ”からの視点だ。神様の視点では、少し違う絵は有るかもしれない。ただアリ側からすると、感情論として安直に、と言うのは、少し難しい状況は有りそう。前回書いた、「幼稚な正義感で強力な権力を振り回した結果、致命的な過失を犯してしまった」と言う事例が何故発生したか?と言うと、「レベルが低いのにその権力を使用したから」だが。”それ”が出来る、或いは許される環境故の問題ではあり、”それ”を許容した環境、その問題でもあって。

これもまた、その一種の様な事例かもしれない。

武漢の新型コロナウイルスは、大分終息しつつはある、らしい。山ほど用意された病床は今、多くが空いていて、大きな仮設病棟はもう閉鎖されるそうだ。それだけを持って事例とは言えないかもしれないが、只の風邪なら一週間も寝てれば治る、実際は、「そう言う事だった」のではあるまいか。

”それ”に煽られて病院に駆け込んだ人々を、無能と言うべきか否か。

とは言っても、”それ”によって適切な治療を受けられずに死んだ人々は、そんな彼らを許せるかどうか、そこは別の話だ。

「無かった事にしよう」そんな感じで、オチなのだろうか。


コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事