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信仰と言うその現実

2020/02/06 07:29 投稿

  • タグ:
  • 信仰
  • 娼婦

現状の実績は、一つの帰結ではある。

「”神様”が、貴方の所に行きなさいと言ったから」

ともかく現在、「神様」の帰結として”ここ”は、まだ有り続けてはいる。
自身の信仰しか殆ど頼りにならない中で、「まだ維持している」それは、重い事実。
足場だった会社も消失し、自身も重い負債を背負った、生活保護に依存するしかない、とか言う訳じゃないのだ。
世界全てを敵に廻しても、”ここ”はまだこう言う感じに存在はしている。


…一応、信仰の正当性、それはここにはあって。
そして、社会的な否定、それもまた、同じレベルで有る?
つまり、”ここ”ならその娼婦を殺さない、訳だ。
「大賀さん」その存在は、彼らを殺さない。

殺された売春婦の悲劇は、結局は”それ”の間違い?に成る訳だ。
いわゆる「神様」と言うのが、彼らには殆ど似非でしかなく、更に帰結で娼婦に。
「もう何も信じない」その先で、その統一教会の実験台、と言う絶望に陥る。

あらゆる仏教その他、「神様」と言うのは、正体がハッキリしない現実はあり。
明言し得る物、それは無かった現実はある。その中で昭和天皇、それは現人神として最有力ではあったし?或いはその庇護下なら、生活は成り立った、が。昭和が終って、昭和天皇も居なくなった時、不意に、その傘が消えてしまって。

その狭間で、或いは天安門事件の様に、その悲劇は起こったのかもしれない。


意識の問題だ、感情論として、「大賀さんは無理を言わない」売春婦を、殺す為に買いにくる様な奴を遮断はしてくれる、とは言える状態はあり。一応は、”それ”が護っているのだ、としたら、昭和天皇が居なくなった後の悲劇、それは無い訳だ、「大賀さん」は求められる限り寿命は無い、その作者が消えても、それは有り続けている。

ガンダムがそうである様に。

人間の世界は、人間自身で改善せねばならない、と言う最後の制約はある訳だが。

不安は残る。

…自分は、救われているか?

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