あげちうのブロマガ

小さな世界の中に居る

2020/01/21 07:45 投稿

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これは、物語か?

と言う認識の中では、”ここ”は単に、ウケてない弱小ブログでしかなく、SEGAは一応は世界的企業で、かむろぎなんて会社は存在しない訳だ。この時?如何に事実が異なろうと、「世間の評価」の方が優先してしまう、なら。あげちうの意向は、この状況に対して何の関係も無い事には成る。

事実を前に、感覚は衝突している。

ともかく少なくとも、その想定が正しいとしても。「かむろぎ」が結構大きくなっているとしても「SEGA社より立場が弱い」そこに”理解は”当然ある、あくまでもDCを使わせて貰ってる外部の「下請けに近い企業」でしかない訳だ。もちろん鴻海工業みたいな規模的にはアップル社を超えてる様な「下請け」もあるが。それでも、だ。SEGA社を抑えられれば、”そこ”に依存する限り、かむろぎは前に出れない。

とは言うが、ここには重いストレスと剣呑はある。企業の利益と個人の幸福、どっちが大事か?と言う重大な命題だ。「メディアには出さない」それを護る時、例えば”ここ”との接触は厳に禁止される。その時間が長期化する程、”ここ”に関わる者は、殺意を内包した悲痛を累積する事には成る。しかし?仮に封印が消えた時、「エヴァンゲリオンは実はパクリだった」事も公にされるなら、その時、”そこ”に関わった人々はどうなるか?でもあり。

鉄華団の如く、”彼ら”もまた、道連れに滅ぶべきか否か。
そこに意識を向ける時、この壁は想像以上に面倒な何かとしてここに有る。

社会全体としても、大きなストレスだ。かむろぎ側には(多分)基本的にはインターネットと切り離された独自のネットワークと「ミカド」と言う”それ”と連携したテレビ放送が存在し、それにより運営されていて。”それ”はもちろん、地デジよりも低コストで設置が可能?と言う構造で、つまり地デジと競合する。広告収益を題材にした戦争がもちろん”ここ”に起こる時?かむろぎの敵は想像以上に巨大化した何かと化す訳で。

ここまで来ても思う事だ。「既存のメディアに情報を載せない状態で、そんな組織は維持出来るのか?」既存の常識はもちろん、「かむろぎ」それに重い存在の不信感を向けてくる。当初の理由はまだ生きている、「かむろぎは維持出来ない」だからこそSEGA社はDCを捨てたのだ。DCを貸したのはあくまでも、その実際を”彼ら”に知って貰う為でしかない。会社を存続させる為には!その中心に、「庵野秀明」この名前がある。

維持されている実例はある、例の「アドベンチャーワールド」は、かなり長い事、メディアには存在さえ知覚されていなかった、パンダは日本には上野公園にしか居ない、と言う理解はつい最近までだ。それでもこの巨大動物園は、今も尚、活性に維持され続けてる。しかし、それでも。

混沌の帰結ではある。メディアに載らないなら”それ”は利益を出せない。世界は全てメディアの認識に支配されているのだ。人々を護る為に、この体制を維持せねばならない、その為には、既存の利益が出ているなんてネタは必要無い。どれだけ利益が失われようと、我々はこの体制を護らねばならないんだ!

「カルト」と言う何かが、何かの歪んだ防衛線を張っている。

「魔王」はその時しかし、「均等労苦社会を維持するべき」と言う理念と共に、それをただ眺めている。「大賀さん」には逆らわない、だからこそ今の「魔王」は”ここ”に居るなら。全ては、「大賀さん」の上での仮想の戦争、そこで決まっていく。

最善の帰結、そこは何処か。

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