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その場に何を捨てに来る

2019/10/09 08:36 投稿

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  • ゲームセンター

それは、何かのしこりではある。

「ゲームセンターとは何の為に必要なのか」

それへの返答、それは何が正解か。

自分は、「パックマン」そこを起点にか、「自身の必要性を回復する場」そう言う位置づけをしている。
”これだけ”の事(大体、パックマンの2面クリア以上)が出来れば、社会人としての能力や理解への要求は十分だ。満点は1000点かも知れないが合格点は60点であり、”それ”を超えた時点で「後は余計」でさえ有る。それだけの能力を持っていて成果が出ないとしたら、それは「使う側の人間」が愚かなのだ。

しかし、既存のゲームセンターは実際は、異なるベクトルがある。

「客自身の”悪しき衝動”を、快楽を餌に、客自分で滅ぼす」場だ。

つまり?プレイヤーが倒さんとしているのは「自分の中に有る悪」な訳だ。”それ”に対して挑み、滅ぼす事を「良い」としている。まず社会生活を送る上で、危険衝動は不要だ、それを捨てる場が必要で、それとして遊び場、それは有る、だから。

「街を襲う悪漢に美女が浚われた、悪漢共を皆殺しにし、彼女を助け出せ!」

…と言うネタに成る訳だ。”現実”に変換すると政府に立てつくテロリストが反社会的行動をし政府と対立する!様な絵でさえある、が。その可能性としてレジスタンス成功が「無い」とも言えず、その時は「良かったね」でオチにする事にはなる、結論での夢オチ。”そこ”でその衝動が消えなければ、次のゲーム、と言う事になる、訳だけど。

…が、現状で言うと、この後者は、「自立が出来ない状況」に実はある、ようだ。

間違っているか?

返答し難いが、しかし後者の例はつまり、「次は?」が、より高難易度に成ってしまう宿命は有る。結果、現在がそうである様に、難易度を前に一見さんお断りに陥り、客離れが加速してしまった。その後、対戦格闘ゲームが始まる。結局、反社会性の拡大は、何かの戦争へ至る訳だが、ゲームセンターへその場が求められた、訳だ。しかしそれはつまり、今までのゲームに対しての価値を著しく下げる事にも成った。その結果が、対戦格闘ゲームのキャラクタ―になる訳だ。”それ”を上手く使える事が、古いゲームの到達点であり、「だったら」直接そのキャラの操作を学んだ方が良い。

どんな現場も、放置しておけば効率化の果てに余剰は切り捨てに成る、訳だけど。

と言う理解だと、しかし対戦ゲームも次第にネタ切れを起こす事には成る訳だ。対立してる意向、或いはゲームが無くなってしまう。民尊主義の帰結みたいな物で、「つまり”それ”があるから悪い」PCは捨てよう、インターネットは止めよう、みたいな話にどうしてもなる。ゲームセンターが衰退した理由としては、一理は見える。

しかしどうしても、ここで「どっち?」が、あって、そこにストレスがある。

両論併記が何だか出来ない訳だ。自身の必要性を回復しつつ自分の危険衝動を消滅させる場だ、で良いのだけど、”それ”が何だか、極論化の果てに気分の悪い選択に成ってる。右か左かだ!と言う時、前者は今の所、前に出れない。しかし後者は衰退を止める糸口が無い状況、かもしれない。

ともかく前回書いた、「RPGアツマールがゲーセン筐体に成ってる」それは、後者の要求を殆ど満たさない。99%は要求に対し欠陥品で、それの方が圧倒的に前にある、”それ”は間違いない。ゲーセンが、そう言う物を許容し得ない状況が、或いは有るかもしれない、利益に屈すする訳には行かないのだが。

「人間が野生動物をペットとして欲しがるからいかんのだ、そんな金があるから、みんな狂ってしまう!」

正論が極論化する時、そこには奇妙な魔物が居る。


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