あげちうのブロマガ

アートと言う名のマネーロンダリング

2019/10/07 06:56 投稿

  • タグ:
  • バンクシー
  • 絵画
  • 価値

凄い主観の断定ではある。

自分が企画?した「機動戦騎ガンダムストライカー」と言う作品のラストには、「神化した人類」と言うニュアンスの、ハイレーターらによる議会のシーンが出てくる。議会に”MSが”乱入しても、彼らは冷静に取り乱さないまま、MSの銃弾に破壊されて行った訳だが。何故か不意に、今回のバンクシーの「チンパンジーの議会」その絵には、”それ”を想像した。

…と言う事は、この絵は”その情景を”描いているのか?

「ストリードの連携」それには、作者が居ない。特定しつつも出来なくする事で「神様」に接続し、それの評価を得る、と言うコンセプトだが。「バンクシーの絵」それも、やっぱり”作者”がハッキリしない、と言う特徴?はある。或いは「神様」ストリードの連携による作品の”作者”そのトレース、「被せ」だ、或いは彼らは、それを行う集団ではある、そう考えると、何となく彼らの主義主張、活動内容、それに合致は出てくる。

「王の権威」と「中華思想の皇帝」その衝突の、その先の話、だ。皇帝らは今、正に”ここ”が言う「神」へと、戦いを挑んでいる…訳だが。

と言う観点で見る時、バンクシーの絵、それは何か?と言うと、或いは「ストリードの連携を破壊せんとぶつけた際に発生した損害の補填」そんなニュアンスが出てくる。

「ストリードの連携」それは、”侵略”に対してはかなりの防波堤に成る。「それはパクリです」かなりのレベルで追及され、倫理等に合致しなければ安直にコピーは出来ない。その一つの例があの「曼珠沙華」のPVではある。「ラストダンス」に”被せ”る結果、しかし失敗し、妙に忌避的な絵が載ってしまった訳だ。

”この”際に発生する損害を、そのままにしておけば、それは「失敗として」記録されてしまう。その記録は、彼らの活動に著しい制限や否定を発生させる、だから。何処かで、何らかの形で損失を補填せねばならない、訳だ。その時、「創作」絵画、それは意外と良い”抜け道”に成る。

「単なる落書き」に10億円とか値づければ、それはそこに成果として発生するのだ。
”金持ち”が、そこにお金を投じれば、そのお金は「自由に使える個人のお金」に変わる。
そのお金を持って、その「失敗した結果」を補填すれば、ダメージは補修し得る訳で。

犯罪か?と言われると、謎だ。
ただ、マスコミを巻き込む世界規模、と言うのが異様さだ。
一応は、批判でもある、「これ単なるチラシの裏の落書きだろ」それに10億円?ふざけてんのか?

デザインの世界の胡散臭さは、今更ではある。
バンクシーがイギリス発祥の画家、と言うのも奇妙と言うか、道理の様な話ではある。

植民地を拡大する事で大きくなった国家、だ。
”それ”が出来なくなった時、イギリスの衰退は始まって、今に至る。

夢をもう一度、だろうか。
その時、しかし、彼らは中華思想の皇帝、”それ”と手を組んだのかもしれない。

何処かで見た絵だ。


コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事