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その時それは裏方に居た人

2019/07/22 10:54 投稿

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  • 天気の子
  • 創作
  • 信仰

現状は今も、判断し難い状況ではあり。

多分、「天気の子」それは今、何らかの”許可”は出ているのだ。

今までの経緯でも、自分が書いてるストリードを契約なしに?盗用しようとしても上手く行ってない。何かの「正式な契約」が通ってないと、期待される結果は出なかった、気がする。この場合も、「レジェンド・オブ・イース」に対して、適当な契約がされたのだろう…多分盗作と言う訳では、無い。

しかし、自分にとっての問題は、「自分にはその辺の期待されるフィードバックがほぼ無い」のに、正式な契約はされている、「成果は出ている」と言う事だ。まあタレント動物が檻の中に居る様な…、微妙な気分に成らない事も、無い。

結局、これは信仰の問題ではある。

「大衆は神である」と言う思想としての帰結は、”それ”がいわゆる「神様」として適当である、と言う事で無ければ成らず。最善解を提示しているのだ、万人を救いつつその願いを叶える、そう言う存在である、と、その結果が出ていなければならない。経緯は、結果としては?期待し得る物でありそしてそれを説明する事は出来る、が。視点としては”それ”は、自身にフィードバックしていない。良くあるカルトか何かの様に、「信仰した結果、こんな素敵な事が!」それは、今でさえ言えない状況が続いている。

「天気の子」が大ヒットした、にしろ、「レジェンド・オブ・イース」それは今も、何処に有るのかさえ自分は把握していない、情報も表に出ていない。ストリードと言う物は、作品が出来る後の、卵の殻の様な物だとしても。何となく、理不尽は感じる。

個人的な状況は、緩やかに悪化しているのに。
世間の状況は或いは、緩やかに改善している?のだ。

信仰の欠課として有る、「最善」その理屈だ。”どうしても叶えたい願い”は、9割程度叶える事が出来るが、その為には1割前後の”どうでも良い願い”は、我慢せねばならない。願いは全て叶う!訳じゃないのだ。「単に見れればいい」的な事は、漫画やアニメ等々で満たし、”それ”で我慢しなければ、ならない。その意味で、何かの希望、それはこれで一つの帰結としてはある。

要するに作家として?は、”こういう事に成れば良い”のだが。
そうなった”後の”面倒も許容するのか?と言うと、それは異なる。

大概の創作者はそうだろう。ウケたいしええかっこしいはしたいけど、「一度で良いから」一度で良いのだ、それ以上は求めない。自分的には”これ”で十分結果としては納得し得る映像で、”それ以上”は実際にノーサンキューではある、「踊ってみた」的な事は、ちょっと勘弁だ


しかし、自分とは異なり”その先に”行けるのなら、作品が他人のそれでも構わない、そう言う人は居る訳で。

「レジェンド・オブ・イース」でも、テーマの一つではある。世界には「適当」それがあり、それ以上、と言うのはむしろ全体その物を悪化させるのだ。それは、それ以上!を求めて無理をした結果、何かの歪みと生贄を求めた。”それ”を打開した時、昔の様に、世界には魔物が現れる様に成ってしまった。「そう言う物だ」それは、この世界に生きる上では必要な、仕事の様なモノとしてある。魔物を倒さねばならない、それがこの世界の原理だ。

その時、絵に描いた様な完璧な理想郷、それは存在しない訳だが。

しかし、そう理解する時、自分は今も、何だか”ここ”に居る訳だ。

世界は理解するのだろうか。今はまだ、それ以上!を求めているのだが。


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