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魔王が目指した世界と

2019/07/15 10:23 投稿

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  • カウンタ制御

前にも考えた事かもしれない。

「黄昏の狩人」を書いた庵野秀明氏、それは、居ない。

そして或いは、「新世紀エヴァンゲリオン」そのファンの多くは、”それ”に対して希望を抱き、愛を語り、王と崇めたのだ。

その人々は今、行き場の無い信念を抱えて、何だか淀んでしまっている気はする。


「いない」のだ。
どれだけ”それ”を求め追及しようと、そこには誰も居ない。
該当し得る存在は、結局は「普通の人」その、「単体での±0」単なる0、それに陥り、それは物理として居ない、のだけど。

「それが”普通”でしょう?」

その言葉の真意の様なモノは、彼らを何だか、どうしようもない存在にしていく。

現場としては今、出来ない事に対して「出来ません」で拒絶する、それが最善なのだけど。
その結果、”上”は今まで通りが出来なくなる。あらゆる点で損失が発生し、全体は窮乏していく、その責任を問われるのだが。

多分、結論としては、「どうしていいか解らない」のだ。
その「普通」居ない人に、問い続けたから。
そこに「大賀さん」それを置いたりせず、「誰か?」それに依存し続けて。
すっかり、人間的な感覚を失ってしまったのかもしれない。

ジャニー喜多川氏も、居なくなった。
その夢?も、或いは一つの結末を見たのかもしれない。

カウンタ制御、それはもう、いらないのだ。
或いは、彼がもう、亡くなったから。

彼の夢が最優先だ、その理想を具現化せん、その為には余計は排除せねばならない!

そんな、”何か”が残っていたのかもしれないが。それは或いは、彼と共に消えた。
良い結果、だったろうか、それは解らない。その夢が叶っていた事を知っていくなら吉事だ。

ともかくもしかしたら、「カウンタ制御」それは、存在の意味を失ったかもしれない。
存在させ続けた、理由の喪失。それはでも、そこに依存した人々の状況を、尚更悪化させる訳だが。

因果かもしれない。

その場にあった、信念の様なモノは、どんな帰結へ至るのか。

それとも、単なる邪でしかないのか。



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