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とある感情論とその壁

2019/06/27 11:34 投稿

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感情論的に、視点での同意は有る。

この人力発電機を3時間も廻せば、5000円くらいには成る筈。

単に、「”それ”をやるのが苦痛な人の方が多い」?だけだ。

しかし、或いは現状で最も確実で利益性の高い仕事、として”これ”があって。
この行為を否定して、安定した利益、それは期待出来ない。


ネズミかな?

とは言え、コンビニ業務も似たようなルーチンワークではあり、多く「仕事」それは、そう言う物ではあって。
アニメーターにしろ、結局はそう言う感じ、でしかない。技術が安定した時、それの達成は「当り前」であり、最終的には「自転車を廻している」それでしかなくなる。違う視点では、好きな事をして遊んでいる?のと大差ない感覚で、お金が貰える様に成ってる訳だ。それは、視点では幸せな状況ではある。

飼い慣らされただけでは。
とは言う物の、それを主張する人々のスキルは多く、先人には遠く及ばないのだが。

とは言え、この職種は”その”労苦を運用、利用する側の胸先三寸で、その利益性が余りに大きく変動してしまう…そこはまあ、リスクだ。

そのリスクを一種、極端に軽減しようとする結果として、今の「”雅”市場」「ストリードの連携」そう言う構造が存在して、しかし。

「と言う訳で、みんなで自転車を廻そうか」

その時、向いている側に期待される反応が無い、そこに切なさはある。


NHKも、巨大組織ではあり、もちろん単一部署のみで運営されてる訳では無い。利益はそれらを合算して成り立つ。その時、平均的にはまあ「期待し得る成果を出している」皆真面目に働いている、訳で、それは現状の数値、結果には出ている。確かにテロの様な話でしかない。人が集まる時、そこで逆走する様な行為は”注目の的”だ。まるでそれがその場の総意であるかのような、それは錯覚ではあっても、どうしても感じはする。”それ”をその場の支配者が感じた時、その価値その物に懸念が発生し、場合によっては取り止めさえ現実だ。しかし。

状況としてでも、数値的にはそんな「致命的な加害」を、今のシステムは特に意識はしていない、単に視聴者の”一部”に不愉快を感じる人が居ただけで、「それは次は見ないで下さい」それで終了、だ。それは「視聴率の低下」として発露し、加害者は勝手に自滅か立場が悪化していく。以前の様に、「天皇陛下が辞めろと言っている」とかで、バッサリされてしまう、様な理不尽は、今は無い。

全体は今、問題ない利益性を維持している、「大衆」それとしては多数派こそ正義であり、それは現状も、問題ない絵としてはある。少数派は、結論で最後はテロリズムに陥り、自滅していく、それは自己責任だ、今の「大賀さん」それに責任は無い。勝てないのは「正しくないから」だ。重量上げのオリンピック選手でも、1tの車が落ちて来たら止めようがない。漫画じゃないのだ、現実とは。

帰結的に、「売春」その必要は今は、無い。昔の様に独裁性が利益を求める時、略奪が末端で肯定される結果としての「生贄」それは今、否定されてる。だからこそ、独裁創作での利益、それは限度があり、社会的に必要とされる行為にしか、対価は発生し難い。まず「必要か?」の査定を通らないと、それには”利益の可能性さえ無い”のだ。そこはこのシステムの作者であっても同じ境遇である、だからこそまあ、”ここ”にその権利は有るのだけど。

今のシステムでは、無理して売春を続ける必要は無く。
逆に言えば、”それ”をしてるから何かの優遇が得られる、状況でも無い。

多数派は、良くも悪くも理解している。
少数派は、良くも悪くも理解してくれない。

民主主義はまだ、一応は、正義だ。


何とも一応、要求はあるのだろう的な。

その需要には、様々な理由が有って。
色々な意味で、大変。

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