あげちうのブロマガ

ボケた写真に写るモノ

2019/06/27 06:55 投稿

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経営は成り立っている。

後は「経営者が」ちゃんと、経営を続けられる利益を得られればいい、が。

良くも悪くもトランプ大統領も、スティーブン.ジョブズも、”その役職の”給与はほぼ貰っていない。
「黄昏の狩人」に”世界”が依存してた時、彼らは”ここ”に給与、利用料?を払っていたか?と言うと、「それは無い」訳だ。自身が依存する存在が給与を貰ってないのに、自分が貰う、と言うのは”同じような立場”として、居心地が悪い筈で。各国の「経営者」は、特にアメリカなんかは、そんな枷の中に今、有る訳だけど。

自分は、他で、適当な利益を得ているのだろうか。

ともかく気分は、相変わらず最下層だ。


現状で、因果は道理の結果としては、ある。

「お金が無い!」的な人の現状は、その「自分らが如何に苦しい生活を強いられているか!」を訴える結果、”経営者”に立てつく結果に成り…その相手の「正論」に大破して、逆に自分の立場が悪くなる、と言う悪循環には陥る。”上”に反発する結果、”上”の方法論を使えなくなり、それ以外では利益が出ないからこそ、”上”はその方法を要求する訳で。それを使わない結果で、現場はどんどんと利益性を失い、窮乏する。そして経営側にも忌避され、給料が出なくなり、生活は窮乏。悪循環だ、その憤慨を”上”に向けるそれは、損害しか発生しなくなり、結果。

この状態に陥ると、やっぱり「仕事」は出来なくなる訳だ、要求を満たす=上の言う事を聞く、それは絶対の禁忌になる。誰が悪い?それは、自身の経緯の結果でしかない。何処から歪み始めたか?を考えても、他者には意味が無い事だろうか。

ともかく”上”はそれでも、そんな現場の理不尽とも言える憤慨の標的には成る。その時「お金は貰っていない」それは、重大な防壁ではあり…今もまだ、そう言う危険性は消えてない、そう言うべきだろうか。

同情するべきか、切り捨てるべきか。”上”の言う事を聞かず、利益を産まない現場は切り捨てられていく、のが現状のシステムではある。そのシステム上では、その窮乏は自己責任だ。”それ”が売れなければ現場の”仲間”全てが窮乏する、のだが。その時それは、その窮乏する道を選択する、仲間を護らねばならない!と叫びつつ、だ。

「ボケている」のだけど。
そして、その人々は偉そうな事を言いつつ、「フラグでしか相手を判断しない」のだ。
素人以前の存在に「先生」とフラグされたらそれに従う様な人々が窮乏する…そこに、何の理不尽が有るのだろう?

とは言え、自分は今、”ここ”に居るのだ。
地雷の様に。



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