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負債が部屋で蠢いている

2019/06/03 13:28 投稿

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  • 元農水省事務次官息子殺害事件
  • 因果
  • 農業

元農水省の事務次官だ。

今の農水産業関連の状況を考えても、彼が「切り捨て」をしてこなかった、筈がない、訳だ。

だから、それは因果、と言うべきだろうか。

「切り捨てた」存在は、でも帰結では”息子として”そこに居て、社会的なデッドウェイトとして、”権威のある存在の息子”と言う立場と否定を利用し、親を強請り、部屋の中で、毒を吐き続けていた訳だ。

親としてその時、「ゴブリンを処分しなければ」そう、思ったのだろう。


「場末のゲームセンター」それは、解りやすい「末端」だが。
「低所得の農業従事者」それは、解りにくい末端ではあって。

「働けよ」

”これ”が、この場に対しては、これほど非道な物言いは、実は無い訳だが。

一個100円で売れるから、それを、一万個創ろうとした。
でも収穫期になって、一個が50円に成ってしまった。
来年は、もっと下がる、らしい?

「だったら三万個創れば良いだろ」

結局、農水省が言ってきた事は、或いはこういう事だった…その、物理的帰結かもしれない。今もまだ「働け」それは、こういう意味をやっぱり、一部か大分、含んでいる。死んだほうがマシだ、その位のブラック状態を、社会はでも、実は要求している訳で。

良くも悪くも、”この”息子を殺した事に関して、世間には同情と肯定しかないかもしれない、完全に「ゴブリン」だ。或いは遠からず、それは有ったかもしれない、しかし。

何故、自身で手を掛けねば成らなかった、か。

それはそれとして、責任、その帰結ではある。


自分にはもう、何の関係も無い、かもしれない。
各種の因果は廻っている、もう「俺は切り捨てられている!」と言う物言いは通らない。
それは自分にさえも、だ。自分はまあ、まだ良い方だろうか、理解はしているのだから。

とは言え。


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