あげちうのブロマガ

無様な貧者を救済せよ

2019/05/31 06:41 投稿

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  • 川崎市通り魔事件
  • 社会

ふと気づくと、何かの恐慌状態はある。

理想となる絵は、沢山ある。
祭りがあって、出店が出ていて、美味しい物が売っていて、それを買っている。

普通?「でも自分には金が無い」この辺が問題だったが…今はちょっと違う。

まず「その出店で売っているたこ焼きを作る、まず穀物が無い」のだ。

ともかく、畑には”それ”は植わっていない。
その種も無ければ、それを育てる肥料も無い。
もちろん?生育の為のノウハウも無い。
当然の様に、買うお金もない訳だが。
”そこ”に至るルートが、全て遮断されている。

物理的に、「そのたこ焼きがまず存在出来ない」と言う、致命的な感覚。

”その”存在が、最上位、ある意味で「先生」その立場に居る、のだ。


シンプルに、「労働に従事できない」雇用先が無い、と言う意味かもしれない。
この前の、川崎市の通り魔事件、これは”あの”犯人が陥った境遇、だろうか。
あの状況で、あの存在をあえて雇用しよう、そんな存在は「今の社会」には無い。
自身のそんな惨めな状況を、あえてテレビに映してほしい奴なんかいないだろう。
テレビは、そんな存在を拒絶?し、写さず、関係さえ否定する時、社会は強烈な「拒否」を彼ら?に向けた訳だが。

その影響は今も、やっぱり残っている、と言うべきか。
自身も結局は、”そこ”に陥ったのだ、彼らが「黄昏の狩人を盗んだ」結果として。
それとも、自身もまた、彼らに対して打開する案を持たない、と言うべきか。
”彼ら”が或いはストリードを出した、として。それは創る、「買う」奴が居るのか。

ともかく”自分”は、色々な意味で「買って貰った」?にしろ、”支払いを受けた事は無い”訳だが。
一応理解として、「ゴブリン」他者のプライバシーを握り強請る存在が自分と、その「支援者」利益を期待する現場、それとの関係を遮断してるから、と言うのは…有るが。だから、”その”存在が社会的な主導権を握り、テレビを支配し、ストリードの連携その物を社会的に拒絶する結果で、あの川崎市の通り魔事件は起きたのだ、と言う道理をここに見る事は出来ても。

自分もまた、テレビ世代ではあり。
その領域の「良識」には中々抗えない時、あの通り魔に対して同情は有っても、あえて関係を持とう、と言う気には成らない…それは有る。

「今の社会」は、だからともかく、「破綻した」のだけど。
今、自分のシステムは”彼ら”に光明を与えるのか?は、ちょっと解らない。

50代の、独身の、みすぼらしい、ヒキニート、そのアイディアを、あえて?買うか?
彼らがそんな、買う価値のあるアイディアなんて、思いつくのだろうか。

”それ”が出来ない時、自身の「救済案」それは、届かない訳だけど。

”今まで”は、どうだったろう?


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