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理解し易い憎しみの結末

2019/05/29 09:10 投稿

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  • 川崎市通り魔事件
  • 社会

最終的には、正論同士の衝突に成ってしまう。

どっちも、大賀さんの前では「同じ」であり、罪人とは言えない。
誰が悪い、と言う事も無いまま、痛ましい事件が或いは、起こったのかもしれない。


川崎市で起きた通り魔事件は、良くも悪くも解りやすい事件には成った。
元々、離婚した両親の両方に捨てられた子で、叔父に育てられたが、その祖父母らは、やっぱり実の孫らと差別していた、らしい。実の孫は可愛がるが、彼は排斥する感じで、その辺で歪んでいった、様。

高校卒業と共に家を出て、しかし。結局は社会からも排斥された状態のまま、叔父の家に舞い戻り、定職にもつけないまま、良い年に成っても引き籠っていた、そう言う。

或いは自身が両親から捨てられた年齢の、その子らとは、何という境遇の差だろう。
理不尽とは正に。

ともかく今の社会は、彼を切り捨てる事しか出来ないまま、壊滅的な事態へと至った。


「今の社会」が、有って。
自分は結局、”それ”に対して文句を言っている、排斥を創ると良くない。
それに対して「ここは私の会社だ」そんな正論は、容易い改善を阻害はする。

二つがこの所、良くも悪くも衝突はしていた訳だ?が。
タイムリーと言うか、ちょうど自身にも、あまり良い事が無かった。
要するに「稼げない」事が問題に成った訳だが、事実は事実として現状ではあって。
「稼げない」のではなく、社会が稼がせない、仕事を、いや存在を認めない、とは言いたいが、それは「今の社会」に対しては、何の意味もない話だ。
自分?はまあ、今は?苦渋を呑むしかない訳だけど、その果てに、この事件がある。


「業績が悪化した会社」と言う視点なら、株主が文句を言い構造改革を要求する、やらないなら既存の経営者には出て行って貰う、そう言う選択も道理ではある、が。
今回の事件を起こした「家庭、或いは犯人」に対して、「稼げない奴は出ていけ」そう言うそれは、正しいのだろうか?それはかなり、重い問いだ。

ともかく「今の社会」は。
事件を起こした彼に対して、結論では”救済するつもりは無かった”訳だ。
その結果として、17人重軽傷、二人殺害、と言う壊滅的な事態に至った訳だ。

「大賀さんの決定」に、「今の社会」が逆らった結末である、と言う視点はある。

株式会社と個人宅の話が混同されてるのはどうかと思うが、それが”今”だろうか。
それとも、問題のある「今の社会」を形成するカギに成ってる会社、それが結局はワンマン経営の独裁者なのだろうか。

どこだろう、それは。


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