あげちうのブロマガ

夢魔の中でつぶやく声

2019/05/20 22:11 投稿

  • タグ:
  • 特撮
  • 円谷英二
  • 庵野秀明
  • 妄想

どうにも弱さはある。

それが、微妙な壁に成ってる。

「帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進せよ!」、庵野秀明氏の初監督作品に対する、そこに有る、勝手なイメージだ。

”売れなかった”のだ。

それこそ労苦もコストも分不相応に費やしたのに、だ。

その上で、それは或いは、尊敬し得る諸先輩らにむしろ、唾棄すべき失敗作と言う評価を受けて、粉々に破壊された。

その後にそこに発生する、何かの変質か、理解?だ。

色々あって、彼は特撮を離れ、アニメへと移った訳だが。

その時、何かが歪んでしまった…そう言うのはふと、想像はする。


当然、想定として自身が把握する最初の「中華思想の皇帝」それは、”彼”だ。
ただ、そこには当然と言うか、何かの心理的な正論、理由がある。

彼は何をしたか?と言うと、既存のウルトラマン、”それ”に対して「全然ダメだ」そう言う意味を、その作品に載せてしまった。
ちょっとした、それは若さの象徴でしかないが。
当時の環境はでも、それを容認し得る余裕、そう言うのは無かった。

”遊び”でそこまで金を使えるのか、良いな。

そこには、何かの大きな溝は発生した訳だ。

当時の、或いは成功前の切実な苦労を、その創作はあざ笑う様な事に成って。
ちょっとした認識の間違い、だ。相手のは仕事だが、それは遊びだった。

彼らは、”それ”を遊びと言う認識にしか成れなかった訳だが。

その集団として、思慮が足らなかった、訳だが。


彼らは次第に、意味や意義、理由、それを失って行く。

先輩方、その拒絶の理由は、でも感情論でしかない。
円谷プロ、彼らがその作品を、必死に創っている理由だ。
綺麗事かもしれないが、それでも、犠牲に成る人々それを護らんとする、意識。

それは解らなかった。
多分、「自分はその時、助けて貰えなかったから」だ。
当時はそう言う時代だった、全てを救えない人々が、世界を護らんとしていた。


円谷英二氏と、庵野秀明氏の間には、何かの溝が出来たのだろうか。

円谷英二氏は、庵野氏を救わねばならなかったのかもしれない。
庵野秀明氏は、円谷英二氏の努力を、認めねば成らなかったのだろうか。

”自分の様な存在”を救えなかった、それに対して。

庵野氏は、自身の作品の中で、”自分を”救うべきだったのだろう、けど。
「そのうち気づくだろうよ」その想定の甘さは、何らかの不足だったと言うべきか。

それはいつか、叶う日は来るのだろうか。


あのランドセルの少女は、どうなったのだろう。


「人を頼るなよ、俺らはそうして来たんだ」
「…そうですね」


まあ、妄想にしては、よく出来てる。


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