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戦ってきた人々と、それに勝った何か

2019/03/16 07:51 投稿

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  • 神様
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好ましいのか、違うのか。

自分の主張する「ストリードの連携を」それが徹底される光景、と言うのは、もちろん自身の理想が具現化する!と言うベクトルは持つ、訳だが。その”結果としてある絵”として、こういう。

”これ”じゃないのだ。


この差は、果たして求められるそれか、否か。

男性的価値感、だとは思う。と言うか、それはつまり、中国的にはか、「桃源郷」そのイメージだ。そこには美しい女性しか居ない。そしてその”全て”が神に仕える巫女だ。彼女らが神の為に”働く”時、そこには魅惑の世界が広がる、神はそれに満足する、と言う。理屈の上では、その先「自分も」その一つで無ければ成らない、訳だが。

「大衆」と言う神に取って、求められる様で無ければ成らない。

これは極論的にはユダヤ教で言う「アダム・カドモン」何かの到達、その先と、そこを降りた光景、ではあるのだけど(多分)。群体が何かの性差を見せつつ、その先で、「神に接続する一つ」イメージでは、その商店街の店の一つ、だ、それに至り。そこで何をするべきか自覚し、その仕事に従事する時、その行為に対しての”適当”な褒章が有る。

と言う結果としてある絵が、今の自分の現状ではある訳だが。
良い状況か否かは、ちょっと個人的には言いにくい。

それは実際には「普通の話」だ。

そのラーメン屋が流行っているのは、
単に真面目に働いてるからだ。

それだけの問題でしかない。
そう言う物だ、それが現実である。

現状の褒章が適当か?と言うと、謎だ。自分はまだ、結論で”それ”を見た事が無い。向こうからの「それっぽい物」的な提示に満足?或いは納得してるだけに過ぎず。ともかく精神も破綻せず、妙な暴走もせず、自分は今もまだ、こんな事を続けている。

因果の結果だ、自分の行為が、自身の状況を創る。
”良い”ゲームをクリアする時、それは自身への褒章となる。

面白ければそれで良い、訳だが。

しかし、今までの「脅威」それは、”そんな物言いと戦ってきた”のだ。
何かの誇りと共に、だ。時には、凶悪なテロ行為に訴えても、彼らは抵抗した。

それと自分との、何かの埋まらない溝。


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