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誰が彼女を殺したか

2019/02/14 08:59 投稿

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  • 小4女児虐待事件
  • 独裁性
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結論で言うと、苦痛の源泉は単純だ。

お金が有りません。

それは、その状況を打開出来ないのに、多額のそれを要求されている。
オチが見えない、そんな。


それは現状、激しく問題に成ってる。

「誰が心愛ちゃんを殺したのか?」

そこには、重い狂気が有る訳だが。

心愛ちゃんが殺される一か月前から、彼女は外界と遮断されていた。しかも、栗原容疑者までもその部屋の中で引き籠っていて。恐らく接触出来た情報としてはテレビ位、だろう。そしてテレビの放送として?”ここ”の声、意向、そう言うのは届いたか?と言うとそれは、有りえない。加害性だけを問うならテレビ以外には有りえず、インターネットにしろ、”テレビに影響を与える様な”って言うか、そう言う高いカウントの動画、放送に限定される。彼女が死んだのが1/24、良くも悪くも野中政造氏が亡くなられたのが1/20、もちろんその時、彼女は栗原容疑者と共に、外部情報から遮断され、その狭い部屋の中に居たのだ。

情報発信としての加害性を問うなら、それは「テレビ以外には無い」訳だけど。

”テレビ”は今、その追及から、何とか逃れようと必死?だ。

「テレビ」が大賀さんの表示装置に成った、今。その辺の情報は、デジタル的に査定され、追及が始まる訳で。今まで、この辺はアナログだった。「日がな一日ネットに入り浸ってんじゃねーよ糞ニート」しかし、その”条件”に該当する存在にはうっかりしたら、宮崎駿監督まで入るのだ(・・・)。今も微妙に接触はする、”その中”に居る連中には多く、ネット動画でバイトテロなどを行う輩も含む、小人閑居して不善を成す、と言う奴だ。そんな”彼ら”の呟きである。

真面目に働くなんて嫌ですが、お金が有りません、どうすれば?

帰れ。

でも、その「帰れ」の中には、主観としてうっかりしたらセガの社長まで含まれる訳だが。

問題に成っているのは、つまり「独裁性」だ、個人的主観と、”それ”を正義と言い切る感覚。昭和特有と言えばそうで、良くも悪くも前にもあったが、「ニューマンアスレチックス」と言うゲームは、不意に「そう言う声」が、向こうから聞こえる?事が有って。そう言うのは創作とかのコンセプトととして、どうしても発露しちゃうものだ。圧力が上がってくると、不意に”それ”は出てくる。

しかも、この辺主観で、かなり”標的”は変わってくる。「真面目に働いてない!」と言う意味が、「自分に逆らってる!」と言う主観に合致してればつまり、”これ”は敵に対して罵声を浴びせてる、訳だ。そして、その支配する主観を土台にして、皇帝を呼ぶ声が有った訳だけど。

それらの終端に、心愛ちゃんを殺した狂気は発生した。

「中華思想の皇帝」それを産む根幹があり、それが問題に成る。少なくともテレビを通し、主観的な主張は問題になり、それが抑止、否定、批判されるそこに問題は、無い。とは言え。

お金が有りません。

”そこ”から発生するお金は無い、その現実は、正義か否か。


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