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「飽きる」と言う現象についての考察

2019/01/31 11:39 投稿

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オペレーションのイメージ、だ。

「脱衣麻雀」は、割と定番なPCゲームだが。

「何故?」
その理由、だ。ゲームとは、”個人的な幸運”を精製する機構である。
…その、「女性を脱がす」幸運は、適当なのか?

という部分で、考え方。
「これは萌えキャラです」イメージ的には、”何かのゲーム”それを象徴します。
結局、「それを脱がしてる」訳だ…一面クリアする度に、一枚ずつ、とか。
全部脱がして以下略、になると?そのゲームをクリアし得る、可能性が、そこに。
ゲームをクリアするとどうなるのか?それは、そのゲームが精製し得る”幸運”を得られる、訳だが。
つまり、脱衣麻雀で脱がす時?「その手助けをした」事には成る…訳だ。少し返礼。
でも、二回目は結論で「同じモノしか得られない」から、必要性は薄くなる。
「クリアしたからもういい」と言う感覚。飽きるとは少し違っているモノ。
既に持っている、新しい同じモノは費用対効果が合わないから、やらない。

と言う時、それを4人打ち麻雀に適用させる。

プレイヤーらはそれぞれ、「標的」となる”ゲーム”、それを意識してる。
困難が前に有る、目の前に居る人々は、”それ”を妨害せん!とする守護者ら、だ。
各プレイヤーは、とにかく一位を取る時?その「標的」をクリア出来る、訳だが。

ここで、ある意味で問題が出る。

「麻雀は?」

あらゆる”ゲーム”を脱がしまくって、”これ”が、最後に有る頂点、かもしれない。「クリアする」脱がす、とは、どういう意味か?良くも悪くも、「標的から価値を奪う」対価を要求する?ニュアンスが、ある。「麻雀」その価値を貶める事になる、訳だが。何かの失望の理由、だ。最後は自分自身を消費してしまう。

「飽きる」と言う奴。

…逆に、だとしたら、その時、「麻雀以外」を視る意識が不意に、そこにあるのかも。

これは、どんなゲームでも起こる訳だが。その時、意識が違う方向へ向くなら?逆に「麻雀を狙わなくなる」訳だ。そうして他に対しても奪いまくる時、「麻雀は楽しい」が膨らんで、そして最後に「麻雀」を標的にして、そして飽きる。でもその時は?他のゲームは回復している、訳だが。

そしてまた、それを標的にして、ゲームは延々と続く。

麻雀で勝つ、その報酬は、「自身がクリアしたいゲームを突破し得る」その可能性の精製、ではある。神経衰弱、みたいな物も、ゲームとして認定して良いかもしれない。

何だか、良く解らない話。
ともかく麻雀で賭けない時、暫くすれば飽きて、他のゲームを始める。

それで良い。

麻雀も、ゲームの一種だ。


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