あげちうのブロマガ

教訓と可能性の境目

2019/01/31 08:51 投稿

  • タグ:
  • 麻雀
  • 経済

何だか、バカい話ではある?

世界経済は「麻雀」みたいなモノだ、と言う時、薄ら怖い想定がある。

「…本当にそうなんじゃないか?」

インターネットが、今の把握なら自分の「黄昏の狩人」その中にある設定を土台にしている、様な話で。「あ、面白い」が、そのまま現実のシステムに適用されてしまう…そう言う異常がどうも、ある。経済システムとしての概要を、当時「麻雀」に求めた、そう言う可能性は、もしかして。

だから、だ。このシステム上で破綻する人が出ても、設計した人は「違う」のだ、責任を持ってない、「被せ」という技術?そして?麻雀その物を考案した人はとうの昔に他界しており、その真意は結局、消えてしまった、或いは「解らない」まま。残っている構造とその理念は、しかし現行のシステムと、妙な対立関係に成りつつ…或いは。

ともかく今の経済システムで破綻が出ても、責任を負う人が居ない理由、だ。ハコテンは出るのに、システム的には救済策が無い、何故か?「これはゲームだから」だ。土台の声に依存する時?そこには何の罪もなく、それを正確に描写した人にも責任は問えない。有るのは、これはゲームか現実か?の違い、だけだ。

「健康麻雀」と称して、”賭けない麻雀”が高齢者を中心に普及してきた、らしい。自分も以前、麻雀牌にICタグを埋め込み、読み込み可能な雀卓で、点棒計算から「この役まで後、何シャンテンです」とかも表示してくれる物を考えた事はあるが、それを運用する上でも、「勝った人には縫いぐるみ進呈」くらいに設定してた、筈。ゲームとしては面白いのだ、賭けに成るとキツイが。

「麻雀は博打ではありません、単なる娯楽です」

既存の経済システムに精通してる人だろうか、この返答に、重い失望がある。

発言力に関しては、間違いなく「麻雀で強い人」には強い発言力がある?それは、間違いなさそう。逆説的に、”それ”が、「麻雀で賭けよう」を主流にしてしまった原因かもしれないが。もっとも勝った奴が、「麻雀で賭けよう」を主張してしまった。以前に有った何かの破綻、だ。奇妙なシャーペンによる博打が格差と貧困を産むと言う奴。それはそのままもしかして、世界経済をも飲み込んでしまった、訳だが。

ともかく、この時、「麻雀は利益を産む事は無い」それは、ハッキリはしている。これはゲームだ、それは解り切ってた訳だが、麻雀で強い人々の意向を覆す事が難しかった。或いは同じく”麻雀”で、彼らをハコテンまで追い込む必要があった…そう言う事だったろうか。

ともかく「現行の」経済システムでの最強に成れれば?麻雀を「娯楽です」と言い切れる訳だ。

そして、何かが変化する、訳だけど。

麻雀は難しい。



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