あげちうのブロマガ

数字は誰が創ったか

2018/09/22 07:10 投稿

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「問題のニュアンスが違う」のだけど。

自分の所には、「彼方より来たりしもの」が、ある。略してカナキタ。

TRPGにおける、独自の基本ルール、その”草案”だ。「クトゥルフの呼び声RPG」を参考?に、よりライトノベル的な、軽い運用と軽い雰囲気を目指したそれ。そこそこ悪くも無いのだろう、ともかくこれは「基本ルール」として、或いは自由に?利用して貰って構わないモノ、そう言うスタンスではあり(詳しくは利用規約を参照の事)。

だから、”これ”を利用した「独自のカナキタTRPGルール」が存在しても、それは構わない、のだが。そう言うのを創った、あげちう以外の作者が、言う。

「”ウチ”のカナキタ貸そうか?」

規約上は「問題ない」のだ。

しかしこの時、「俺のMMD貸そうか?」そんな感覚の異相、その衝突が有る。
RX-78-2「ガンダム」のHGを買って、A氏は「ガンダム後期型」を、B氏は「ガンダム高機動型」をそれぞれ作って、双方が言う。

「俺のガンダムは強いよ?」

問題は無い、しかし。

これが「エヴァンゲリオン」だと、微妙に感覚が違う気が、する。

この感覚の極論が、その「中華思想の皇帝」黄昏の狩人、その作者は誰?その、今日に続く問題を創ったのだが。「黄昏の狩人」その作者は”あげちう”である、しかし。「皇帝」はそれを、「これは自分が創った!」そう主張し、メディアも結論で、それを信用した訳だ。作者は誰か?それは現状、非常に重い話としてあり?その時、旧「皇帝」側の人の感覚には、「共有する物」そう言う感覚は、無い。

「妻を共有するつもりか?」

その位の、或いはそこに、否定感は有る。


「支配者」独裁者、そう言うのが存在すると、その場の自由度も発展も、著しく疎外される。MMDがああも発展し得たのは?或いはこれも「被せ」だから、だ、或いは「ASP」に対しての。「土台にした」時、作者はその創作に自身の所有を主張し切れないし、責任も持たない。故にそこには無視出来ない「他の意向」が存在する。「こんな完璧に創ったのに何故?!」で売れない創作、その理由だ。すべてオリジナル、全て一人で創った!的に、独裁的に創りすぎてる。その世界の中では、その作者に逆らうそれは神に仇成す、その位の意味。

…ちょっと、居たくない。

「彼方より来たりしもの」も、故に、Ver0.7で止まっている。残りの0.3は、その他により補完し得る物で、そしてモンスターや魔術などにこそ、価値の基幹が有る訳だが。ただ、その皇帝の影響は、その時、「カナキタを使っているならそれらは”全て”私のモノだ」そう言う、価値観を底に残していて。

重い影響が残っている、気がする。

そこに残る”それ”もまた、自由意思の、一つの答えなのだろうか。
それとも、歪んだ思想による歪んだ間違い、だろうか。

拘束して、「矯正」するべき?

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