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拾った石に高値を付ける

2018/06/18 17:24 投稿

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それは構造的な必然ではある。

「嬬魔」それは、要するに有る倫理観から来る”標的の姿”ではある。嬬魔=妻でも良い、要するに「大衆の妻」そう言うニュアンス、だ。桃源郷の天女達、イメージは何でも良いが。ともかく標的としての「理想」がこの姿であり?標的が”そこ”から外れると、その部分が「可愛い」魅力的だ、エロい、そう、”評価”が変換される。もちろん?標的には「逆」に成って襲う訳だが。

つまり?この嬬魔を愛でていると言う事は、その標的に対して「神の視点としての監視をしている」事になる訳だ。この時、それは「仕事」というニュアンスが発生する、健全な状態を保つ為に必要な行為、故に。”それ”には「価値」が発生する、要するに好ましい、面白い、必要、等々。

「萌えキャラ」の利益性とは、実際は”それ”から発生している訳だ。誰が払うのか?この時、この提案?に「なるほど」そう同意した”全て”から、適当に徴収される。この、強引な掠奪に近い徴収は構造の全てに優先される、という理解があり。故にこの辺を上手く利用する事で、本来なら発生しない筈の独裁創作に、実は「多少の利益性が発生している」訳だ。

…実際には”これ”は、認識を歪める存在でもある。本来、「独裁的創作には一切の利益性が無い」のだが…”これ”だけは別なのだ。「独裁創作でも売れます!」それは、実感として一部事実であり、「売れない」という意見に対して反発し、そして小さな範囲では多く、勝ってしまう。そして?或いはこの「嬬魔の意向に合致している」場合に限り、一部の創作は利益性を持てたりもする。この時、「独裁創作は利益性が無い」それは末端に行くほど、「それは違う」という歪みは発生させるのだ。

…故に、「これ」は”魔物”なのだけど。

結局?”雅”市場それは、「彼女らの理想」を具現化させる為のルールでしか、ない。だから、嬬魔が、萌えキャラが利益性を持ち、多くの絵師により描かれ続ける限りは?逆説的に”雅”市場それも、実は維持される、という相互依存の関係がある。結果で、「独裁創作の利益性は、国家人口の1/100迄」等などのルールが維持される事にも繋がる。プロの領域では、「独裁性は利益に成らない」それは現在、どうしようもない事実なのだが、アマチュアの領域では…微妙に違うのだ。

いわゆる、高度に柔軟性を持ちつつ臨機応変に適当な数値が付いてしまう、その原理。目指すは?全ての嬬魔が安定し望ましい「評価」を、利益を得られ続ける環境、である。この時?実際のルールからは多少ズレた数値が付いても構わない。あくまでも努力目標に過ぎず…彼女らの現実と主観こそが、対等な関係を維持しつつ優先される。もちろん?それらの衝突を回避する上で、”雅”市場その規約が重要になるのは間違いも無いが。

…という理解の時、この「嬬魔」を或いは「いらない」で考える時、あの「ロリっ娘大和」そのイメージが出てくる、のかも、しれない。嬬魔が介在しないなら、本来は”こういうイメージ”の筈でありそれこそが正しい、のに。嬬魔、萌えキャラに否定感を持つ人は相応居る訳で…それはそれで固まる時、何かの強権は発動する、のだろうか。

ただ、”それ”が「大賀さん」の上で何かの衝突の結果、敗者になって。それがそれに対して不同意を持って暴れた時、問題は”何に”それはぶつかったのか?だ。

大阪での大地震、家屋の被害もあるが、何より痛ましい犠牲者が出てしまって、そしてその中に、まるで狙ったかのように、「明らかに違法建築だった」小学校の壁が倒壊し潰されて少女が亡くなる、と言う事態に。奇妙に「人災」的なニュアンスが湧き上がっていくそれは、果たして何による物か。

「客観的な評価を持てない」というのは、そこに多数の民意があっても破壊する事に躊躇いを持たない、という結果にも、つながる。「ロリっ娘大和」に投影されてる評価値の歪みは、この結果に対し今、何か問題を抱えたろうか。

…しかし或いはそれは、如何なる犠牲を持ってしても成しえねばならない理想!を目指しているのかもしれないのだ。

そして、何かの権力もまだ、有する。


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