あげちうのブロマガ

白紙にスタンプを押していく

2017/12/22 08:45 投稿

  • タグ:
  • 個性
  • 創作
  • 神様

それはつまり。

「私は神を見つけた」

そう言う意味だ、それは解っているのだけど。


ともかく、人間には個性がある。”それ”を用いる創作は、良くも悪くも「個性」を無視出来ない、集団作業なら尚更、だ。テレビで採用される時、基準は何処か?どうしても発生する、アレが採用されて、何故自分はダメなのか?

…神様、ちょっと不平等過ぎやしませんか。

今までこの不満は、昭和なら「王の権威」昭和天皇それが引き受けていた、のだが。平成に入ってその辺の独裁性に歪みが発生したかで、天皇家は”それ”を引き継がなかった。変わって権威、感覚、それを引き継いだのが”ここ”だが。しかし、その業界としては”それ”を受け入れる事は無く…自分らの都合の良い後継者を王にし、あげちうから「黄昏の狩人」を盗んで”それ”を掲げる事で、彼らは昭和天皇の後継者となった、訳だが。

現状、この「中華思想の皇帝」それは、不在には成った、と思う。ともかく「誰?」キャラクターです、そう言う。何故なら平成の負債の全てが”ここ”に集中するからだ。阪神大震災もオウム真理教の暴走も、数多の天変地異も、そして東日本大震災も全て”ここ”に責任がある。どれだけの犠牲と悲痛が有ったと思っているのか?単純に。

「死ね」

真摯なる”それ”が集う場所に居られるのは、本当の神様以外には…居ない訳で。

ともかく?その辺段階的に、自分自身にもかなりのリミッターが掛かった状態で”責任”を回収していく時、状況を改善しつつ、新たに”雅”市場、ストリードの連携、そう言うのを増設して…今に至る訳だ。結論的に「大衆は神様である」その証明は(個人的に)果たして、現状は(0±0)と言うシンボルを中心にした「大賀さん」紛争解決機構、”それ”を中心に、利益性その他、その環境は安定はしている、様。この「面白い」絵、99%の白に1%の黒が混ざった白に近いグレー、その「均等労苦社会」は。良くも悪くも「理想」だ、だからまず「萌え絵」と言う形で視認はされてて。漫画やアニメの領域から理解を広げていった、のだけど。

絵なら、技術だ。
ただ、役所広司がセーラームーンを演じる事は…無理だ。

結局?その時その人を使うかどうか?は「その場に必要なイメージを個性として持っているかどうか?」と言う事にはなり。人間の感覚でつまり「採用すべき人を採用しているのか?」それはちょっと解らない、誰の趣味なのか。この物語の主人公には、是非この人を!そう言うのはイメージとして有り・・・その時、それはバランスを崩す部分は、有る。

努力ではどうにもならないのだ。
この辺、絵の領域であっても”それ”は言えるのだ。

「個性的な絵」それは、一般論の萌え絵とは異なる感覚で世界を見ている、そう言う意味にはなる。その時、萌え絵的には”それ”は「神像」或いは塩かテッシュの塊、でしかないと言う理解でも。その個性にそう見る事は出来ない、かもしれない、誰?結局、その価値観でそのオーダーを見る時、萌え絵的に期待したイメージには成らない、訳だ。それはそれで良い、違う視点で面白いのならそれはそれで正しい。しかし、結局描こうとする題材が偏った場合、個性としてどうしても無理、そう言うのは出てこない、とも言い難く。

白い紙をあえて黒に塗ってから描いて行く方法もある。
だから、土台が白く無くても白にしてから始める事は出来るだろう、技術だ。
でも、役所広司がセーラームーンを演じる事は…無理だ。

…その神様は、この辺の「個性の問題」まで含んで、平等に期待される絵を描こうとするのか?

白紙に、様々なスタンプを押していく。”それ”の出来で、それはお金に変わる。”それ”を増やさないと経済的な発展は無い。しかし”それ”しか出来ない時、任意の絵を追加で描いてはいけない時。期待される絵をどうやって描けば良い?とかく人間の感覚では描きやすい絵に偏っていくのは目に見えてるその時、使われないスタンプ、それは或いは大量に残るのだ。

「使いにくい」そう、脇に寄せられてるスタンプ。

どう考えても、”そこ”に淀む何か。

…この神様はその辺、ちゃんと考慮し得るのだろうか?

それは、”期待される神様”の筈なのだ。

…それは信仰心の問題、だろうか。


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