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正義と言う名の王を呪う

2017/07/26 11:45 投稿

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  • 最大幸福社会
  • 均等労苦社会
  • 正義

大前提として、「最大幸福社会」それは、”無理”だ。

幸福とは、何だろう?少なくとも自分の願いが叶う世界の事だ。
それは、どうすると具現化するのか?そもそも願いとは何か。

「私は右に進めれば幸せ」「私は左に進みたい」

…二つはこの時、幸福を賭けた戦争に陥る。


しかし、ある意味で一つの解法がある。「右も左も同一人物だったら?」それは、単なる迷いに過ぎない訳だ。どっちに進むかを決定した時、双方に反論は無い、相手の決定は自分の決定である。

「なら、”全て”の人々が最大の幸福を得る事は可能ではないだろうか?」

…私は貴方じゃないんですが。


「九尾の狐」は、”これ”を「可能である」その確信?として押し付けてくるし、それに対して論理的な反論は無意味だ、そう言う感覚でもあるし、そして相手の意識内では100%の同意が有るのだから、「間違っている」理解は及ばない、反論する奴が狂っているのだ、位で。それを前にする時、普段から意識してないと、相手の100%の同意に飲み込まれる、感覚が狂ってしまう。

しかし、だからと言って「均等労苦社会」それは、字面通りの労苦を必要とはするのだ。

現状、「中華思想の皇帝」にしたら、持っている「王の印籠」の作者、「王の権威」には早期にこの世を去ってもらうしかない訳だが。

しかし、一般論での倫理的には、だったら「中華思想の皇帝」が死ぬべきじゃない?と言うのが、道理ではあり。

だが、王の権威が主張する「正義」は実際そんなに良い物ではない。均等労苦社会。
中華思想の皇帝が言う、まあ最大幸福社会、それは実現不可能だが、こっちの方が夢がある。

「九尾の狐」にしたら、それは実現する!確信はあるが、それは不可能で。そして今、中華思想の皇帝は、「軽犯罪の重過失」を累積させている為、いわゆる「仕事」など、出来る状態では無い訳だ。永遠のヘタというか、そんな呪いが掛かっていて。しかしだからだろうか、九尾の狐は、そんな皇帝を支持する訳だ。

無形な殺し合いの中に居る…、それは感じる。

「中華思想の皇帝」も、「九尾の狐」も、両方とも、(0±0)その決定には逆らっている、その筈だが。「それは死を意味する」とは語るが、現実は…どうなのだろう。

「王の権威」それは、理解としては許し難き独裁者だ。「上手い」とは、”彼”が良いと思う物を創れる能力の事を言うのである。そんな不条理に立ち向かう!正義を語る時、分岐として。

王の権威で有ろうと今は、(0±0)の決定に逆らう事は出来ないしかし。状況は、悪い。



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